ももたんの発達と解離ライフ

発達障害・解離性障害当事者であるももたんの声をお届けします

発達障害児の食事の困難〜飲み込めない原因は感覚過敏かも〜

発達障害のお子さんを抱えている親御さんで、子どもが食事をなかなか食べられない、食べるのに物凄く時間がかかる、という悩みを抱えている方は多いのではないだろうか

 

いつまでも口の中でモグモグして飲み込まない、飲み込む時にオエっとなる、とにかく食事が遅い…など

 

わたし自身、発達障害の当事者だが、小学校の頃、とにかく食べるのが遅かった

パン半分食べるのに30分もかかるのだ

おかげさまで学校は毎日遅刻していた

 

何故ここまで遅いのか。飲み込めない、食べられないのか…

 

 

あなたのお子さんの困難、その原因は、「感覚過敏」かも知れない

 

 

発達障害、特に自閉スペクトラム症の当事者は、感覚過敏に苦しむことが多い

 

その感覚過敏は聴覚、視覚、触覚、味覚など、実に様々で、勿論個人で症状は違う

 

つんざくような音や、小さな子どもの叫び声が苦手な人などがいる聴覚過敏

太陽やLEDなどの光が眩しくて、中には色付き眼鏡をしなければならない人もいる視覚過敏

触られることや特定の感覚が苦手で、決まった素材の服しか着られない人もいる触覚過敏

中には味覚過敏でコンビニのおにぎりの海苔の味で、どこのチェーン店のものか当ててしまうお子さんもいるときいたこともある

(上に挙げた感覚過敏の症状は一例であり、実際は他にも様々なものがあります)

 

発達障害の当事者で、食事をする時に困難を来す感覚過敏は、多くは触覚と味覚の過敏から来ていると思われる

 

特定の味のものが苦手な味覚過敏のみだった場合、それ以外のものは大体食べられることがあるが、問題は触覚の過敏がある当事者だ

 

まず、口の中に食べ物、つまり「異物」が入ることが苦手

異物が入ることでまず拒絶反応に近いものが発生する。小さな発達障害のお子さんがよく食べ物をすぐべっと出してしまうという親御さんの悩みをよくきくが、恐らくこれが原因のひとつではないかとわたしは思う

(このケースの場合歯ブラシで歯を磨くことも苦手な人は多い。わたしの周りの発達障害の当事者は虫歯の人も多いが、その背景は歯ブラシという異物が口の中に入ることで不快感を覚え、なかなか上手く磨けないことがあると推測する)

 

そして、次にモグモグと噛むことで形状を変える食べ物への違和感

硬い煎餅もずっと噛んでいればふにゃふにゃになり、更に噛み続ければ最終的にはペースト状になる

発達障害の当事者は変化に弱いのは有名な話だが、強い過敏性を持つお子さんの場合(人によっては大人でも)、その食べ物、謂わば異物が自らの口の中で形状を変えることに不快感を覚えることも少なくない

 

更に問題は飲み込む時

喉を通る食べ物「異物」の感覚がとにかく「怖い」という発達障害のお子さんは多い

わたし自身は今でもそうだ

 

以上を踏まえてまとめると、口の中に入った異物が自らの口の中で噛むことで形状を変え、それだけで不快なのに、更にそれを飲み込む時の恐怖感と不快感を、毎食毎食味わわなければならない

これが発達障害児、及び発達障害者の食事の時間がかかる困難ではないかと、わたしは推測する

 

また、これとは逆のケースで、物凄い勢いで食事を流し込むように食べる人もいる。今のわたしもそうだ

 

その理由としては、食べ物が喉を通るのが不快なのもあり、また先に挙げた感覚過敏の理由で食事そのものが苦痛であるから、その食事を出来るだけはやく、また不快感を感じずに終える為に、飲み物や水、汁物で固形物を流し込むようにかっこんで食べるということが推測される

 

もうひとつ食事の困難の例を挙げると、繊維質の食べ物の咀嚼と嚥下の困難だ

 

野菜など繊維質の食べ物が苦手な発達障害当事者は、数多く知っているが、その原因は口に入れ→咀嚼し→飲み込むという食事の過程で、先に挙げたように時間がかかると、繊維質のものはただでさえ食感に不快感を感じる上に、なかなか飲み込めずにいると、厄介なことに口の中に繊維質の部分だけが残るのだ

結果飲み込み時に繊維質の部分を飲み込むわけだが、それが喉に引っかかる感覚がとにかく不快なのである

そして最終的に嗚咽してべっと出すどころか吐いてしまうことさえある

 

野菜を嫌がる発達障害のお子さんは多いときくが、これを踏まえれば原因の多くは感覚過敏であるのではないかと思っても良いだろうとわたしは思う

 

では、発達障害児が偏りやすい栄養をどう摂れば良いのか?

 

以下にわたしが考えた対策の一例を幾つか挙げる

 

まずお子さんの場合は、親御さんやご家族が料理を作ることが多い為、お子さんに好きな味や形状のものをきいて把握し、それに沿って調理したり、買ってきたりして食べさせることが良いかと思う

例えばかぼちゃの細い繊維が苦手ならコロッケにしてしまう

人参の味が苦手なら、少し甘いゼリーにしてしまうか、すりおろしてホットケーキに加えてしまう

ホットケーキは便利で、他にもほうれん草などもペースト状にすれば案外混ぜて食べられるのだ

生のキャベツが苦手なら、餃子にしてしまえば他の野菜や肉も一度に摂れる

これはほんの一例であり、わたしが過去に作ってもらって食べた時、違和感が無かったものである

 

他にも工夫してしまえば色々食べられるかもしれない

勿論、料理が得意なご家庭だけではないので、もし苦手ならば市販の冷凍食品などで手抜きしても全然大丈夫だと思う

 

発達障害児の食事の困難は、ただ単に食の好みだけではない

感覚過敏などと戦いながら、苦痛な食事をそれでもなんとかこなそうとしている

ご家族の苦労も相当だろう。どうか工夫することで乗り越えていけたらと切に願う

 

 

※この記事は、発達障害当事者であるわたしの個人の経験による見解であり、全ての発達障害児・者にこの記事の全てが当てはまるとは限りません。また、特に統計を取っているわけでもなく、多いというのはあくまでわたしの周りできいた話を総合的に見て解釈したものです

 

障害者には才能があるのか〜発達障害に着目するメディアへの危機感〜

ここのところ、NHKあさイチという番組で、発達障害が大きく取り上げられているが、それに伴い、様々な議論、物議が醸し出されている

 

例えば…

発達障害だからってみんながみんな才能があるわけじゃない

発達障害だけでなく軽度知的障害も取り上げて欲しい

・障害を誤解釈する内容はやめてほしい

など…

 

今放映されている番組はわたしは見ていないが、最近メインとして発達障害がメディアに取り上げられていることに危機感を覚えている

 

何故ならば、発達障害は知的障害、及び精神障害・疾患とは切っても切れないものがあるからだ

 

発達障害でも特に自閉スペクトラム症に関しては、知的障害も伴う人もいる。昔でいう「自閉症」と呼ばれていた人達だ。また、知的障害の多動と、注意欠陥多動性障害(ADD/ADHD)の多動は、若干異なるものもあるが、中等度知的障害、心疾患などを伴うダウン症候群の人に、重度の多動が見られる事もある

そして、発達障害及び知的障害の人間が、適切な支援を受けられず、発見も遅れれば、二次的に精神疾患を患うことは、最早デフォルトになっている。俗に言う二次障害だ

 

わたしが今回、何故発達障害だけではなく、精神障害・知的障害など様々な脳の機能の障害に触れたのかというのは、その切っても切れない関係性から、発達障害だけをメインに取り上げるメディアや、注目され始めている発達障害の情報に、当事者として危機感を覚えたからである

 

まず、この「発達障害」がよく取り上げられるようになったのは、「見た目にわからない障害」「見えない障害」を抱えていながらも、一躍有名になった人達のカミングアウトからだったとわたしは解釈している。以前にもこのブログに書いた栗原類さん、野田あすかさんらが金スマという番組で取り上げられ、またNHKのバリバラを始め、様々な番組に出演したり、インタビューも受ける当事者が増えてきた

 

だが、出演出来る彼らが、その番組に苦言を呈する当事者と大きく違うのは「外に出れる」ことである。外、というと社会というコミュニティから、家の外という身近なところまで幅広い意味を持つが、わたしが注目しているのは「家の外」である

 

働けない、家からも出られない、所謂引きこもり状態の当事者は、テレビやネットで取り上げられる発達障害の当事者が、とても眩しく感じるという。また、メディアに出る発達障害などの当事者には才能がある人ばかり!と苦言を呈する当事者もいる

 

そこで、このブログの本題である障害者には才能があるのか?という部分に触れていこう

 

わたしの解釈だが、障害者には元々爆発的に才能がある人間は、ごく少数派だと思っている。その少数派の多くはサヴァン症候群だとも思う。サヴァン症候群とは知的障害や発達障害のある者のうち、ごく特定の分野に限って優れた能力を発揮する人の症状を指す、とされている

例えば映画『レインマン』のきっかけとなった大変な記憶力を持っていたとされるキム・ピーク。数字を色相や感覚と結びつけて理解する共感覚能力を持つダニエル・ポール・タメット。映像記憶に優れた能力を持ち、それを元に絵を描く建築画家のスティーブン・ウィルシャー。彼らはサヴァン症候群とされている

 

わたしは障害者でそういった特殊な能力を生れながらに持つ人間は、上記のサヴァン症候群の人など、本当に少数派なのだという解釈である

 

では、何故発達障害始め障害者で優れた能力を持ち、発揮することが出来る人間がいるのか?

 

結論から言うと、それは「適切な環境と周囲のサポートにより、元々持っていた特性の優れた部分を特化させることに成功したから」だと思っている

 

まず人は居心地の悪い環境や状況で、本来の能力を発揮することは不可能に等しい。テニスの大きな大会で伊達公子さんが、プレー中に観客の溜息に怒りを露わにしながら「ため息ばっかり!」と叫んだニュースが話題となったことがあったが、彼女が冷静さを保てずそう叫んだのは「彼女にとって居心地が悪い状況になった為」ではとわたしは推測している

また先日フィギュアスケートのグランプリシリーズで、白岩優奈選手が思うように結果が出なかったのだが、それはアリーナ・ザギトワ選手が白岩選手の前に滑り、高得点を出したことで会場は物凄い歓声に包まれた。その興奮覚めやらぬ中次滑走の白岩選手は、その雰囲気に飲み込まれてしまったと言う

 

極端な例だったが、一流のスポーツ選手ですらそうなってしまう中、周囲に過敏な障害者が、自分にとって居心地の悪い環境に、何年も何十年もの間身を置き続ければどうなるか。結果は一目瞭然で、特性も能力も上手く活かすことは出来ないし、自分にある特性が活かせる場を作れることすら知らずに生きている人が大多数を占めると思う

 

知的障害者の場合、能力は確かに所謂健常と呼ばれる類の人間より、全体的に劣ってしまっているが、彼らは全く成長しない訳ではなく、「経験をもとに物事を少しずつ覚え、それを次同じ状況になった時に思い出す」事で適応しようとする。これは知的障害者特有の物事の解釈の仕方から来ている

 

発達障害者の場合は能力のバラつきがとにかく大きいのが特徴的だが、周囲の環境と周囲の適切なサポート、それに加えて自身の症状を自らがしっかりと理解、受容し、自分の状態を把握することでセルフコントロールが可能となり、社会や様々な場所で適応することが出来るようになる。(これは能力のバラつきという部分を除けば軽度知的障害者も当てはまるケースがある)

 

「障害者は才能がある」という言葉に嫌悪感すら覚える障害者。彼らの多くは引きこもって家の外に一歩出るだけでも大変なのである。準備が思うようにいかない(服装・清潔感なども含め)だけでなく、前日になれば「明日行けるかな」「会う人に変に思われたらどうしよう」「遅刻しないだろうか」という予期不安も発生する

そして当日、玄関から一歩踏み出そうとする足は物凄く重い。出れても道中不安感から調子を崩し、駅の救護室で休ませてもらったという障害者もわたしの周りに少なくない

 

そんな中テレビやメディアに堂々と出れる、自分と同じ障害を抱えた人間を見ればどう思うか。それはそれは輝いて眩しく見えて、自分なんか…となるのも当然なのである

とはいえ、その当事者ですら苦労はしていて、環境やサポート無しでそこまで来れた訳ではないのだが、引きこもってしまう当事者からすれば、そんなものは関係無い、ただただひたすらに羨望感を覚え、自身に対しては自己肯定感のカケラも無くなってしまうのだ

 

障害者であって、才能がある人がいないとは思わないが、それに当てはまる障害者はごく少数であって、多くの障害者は環境の悪さや適切なサポートを受けられず、持っている特性を活かす場に出会えないこと、また、発達障害だけに注目するのではなく、二次的に発症する精神障害・疾患。発達障害と知的障害を伴う人たち。そして一見普通に見えてしまい、身の回りのことはある程度できるが、独特な解釈の仕方で生き、困難を抱えるも訴え方が分からず苦労する軽度知的障害者など、もう少し着眼点を変えて見てほしいと思う世界が、まだまだ沢山あるのだと、わたしは静かに訴えていきたい

 

加えて、表社会に全く出ない、若しくは「出ることを許されない、許されなかった障害者」達にも、どうにかして支援の手が差し伸べられることを、願ってやまない

カサンドラの母と発達障害の父

今回は題材通り、カサンドラの母と未診断ではあるが恐らく重度の発達障害の父の話を少ししようと思う

 

その前に、ひとつだけ留意点をあげると、わたしはカサンドラのかたを否定することはまず無く、また発達障害の人にもカサンドラの人にも人権があり、双方に擁護されるべき点があるということ。またそれ無くしてどちらの支援も発生しないということをお伝えし、そこに重きを置いて話せるよう、つとめていきたいと思う所存である

 

まずはわたしが子どもの頃…

母がパニックによる過呼吸不整脈を起こして初めて夜中に運ばれたのは、わたしが小学5年生の時だった

夜中に起こされて母がひゅうひゅうと苦しそうに呼吸をし、わたしに助けを求めた。仕方なく救急車はわたしが呼んだ

小さな弟妹の面倒は祖母が飛んでくるまでわたしが全て見た


その日はなんとか座流星群の日だと思い出したわたしは、星座の名前を確認し、起きてしまった弟妹をベランダ側に連れて空を眺めさせた。ベランダから空を眺める弟が流れ星!とはしゃぐのを横目に母を待つ


母は程なくして異常無しと言われ、わりとすぐ帰ってきた


母はその後も度々過呼吸不整脈を訴えて運ばれた。決まってそれは夜中で、わたしは毎回救急車を呼んだ

サイレンを鳴らして来るのを嫌がる母からの要望を、電話で隊員の方に伝えたこともあった


その時風邪をひいた妹が母の留守番中布団の上に吐いた嘔吐物も、小学6年生になったわたしは処分したり、お腹を空かせたと泣く当時赤ん坊だった末っ子にミルクを作って飲ませたり…。

 


なんでこうなるんだろ?と思ってた

 


わたしが大人になってネット社会に入りこんで知った、カサンドラ症候群。きいたことも見たこともない、病名なの?疾患名?なんだこれ?と思って調べると、母の症状と見事に合致

 

カサンドラ症候群発達障害などを抱えるパートナーとのコミュニケーションや意思疎通を図ることの困難から生じるストレスで、自身がパニック症状による過呼吸不整脈、そしてうつなどの精神的から肉体的まで様々な影響を及ぼす症状を総称したもので、疾患名としては確立されてはいないとされている

 

長年母を苦しめてたのは父の行動を理解出来ない気持ちからきたものだとやっと知った

 


そしてわたしは父の発達障害を疑ったのだ

 

 

最近になってだが、父に

「自分に発達障害の自覚はあるのか?」

ときいたところ、驚きを隠せない事実が発覚した

 

父は10年以上前に周囲から

「お前アスペルガーぽいよな〜」

ADHDもあるんじゃない?」

と冗談半分で言われたことをきっかけに、当時ネットで検索したところ、自分の状況と合致した為、ADHDの何らかのネット診断でも無いかと探して、これなら割と良いサイトだろうと専門機関のことも載っているサイトを探し出し、ネット診断をしたところ(どのサイトかはわたしは存じない為紹介は出来ない。また正確な診断は医療機関などにおいてするものである)、ADHDの当事者ですらなかなか出すことは無いという「満点」を出してしまったという

 

父はそこで

「ああ自分はもしかしたらADHDなのかもな」

と自覚していたのだと

 

その年数や10年以上前

なんとわたしが発達障害と医師に告げられる5年以上前である

 

また、現在治療や正確な診断を受けるつもりは、父は無いという。その背景には年齢もあるし、また父が「仕事の成功者」であるというものがある。その為今更診断受けても…と父は口を濁したのである

 

父は子煩悩で明るく、勉強の得手不得手にムラはあったものの、大学から大学院を卒業し、某業界に属しその業界では現在では最早かなり有名な人物である

メディアに紹介されたことも多々あり、テレビ出演なども果たしている

 

しかしメディアに適切で正確に技術を伝える一方、家庭では自由奔放な発言をし、外に散歩に出てふくよかな女性を見ると「うわっ」と指を指して言ってしまう

わたしは小学生の頃からそんな父を「やめてよ恥ずかしい!」と注意していた

 

散らかしっぱなしで物をよく無くし、無い無い!とパニックや癇癪(かんしゃく)を起こしてひっくり返して探すことなんて日常茶飯事

自分の仕事に熱中し過ぎて他の家族が昼食をとっても気付かず、午後3時半に「ご飯まだ?」と言ってきたこともあった(恐らく過集中によるもの)

 

わたしが8歳くらいの時に家庭内別居のような状況になった。正確には家が狭くなったので、アパートをもうひと部屋借りたらそうなって、母もせいせいした表情をしていたものだが…

 

最近はわたしがネットの世界に入り浸り、カサンドラという言葉をきかない、見ない日は無い

その方々の投稿を見ることも多々あるが、実に苦労されているのだ

 

夫として、父親としてなってない、人としても最悪だ!と嘆く女性たちは、彼らを「アスペ夫」「もう1人の大きな子ども」などと呼ぶ

 

その気持ちも投稿を見ればわからなくも無い。それはそれは酷いと思われても仕方ない行動を彼らはしている。これを日常的にされたらわたしだってストレスで、冗談抜きで速攻で別れるだろう

 

ところが発達障害の人は「カサンドラは敵だ!」と言う人まで出ている。彼らからしたらそりゃそうだろう。自らは何も悪いことをしているつもりは全く無い。自分の考え通りに動いたらそう称され、アスペアスペと呼ばれてネットに叩かれる

 

発達障害者の人権は?」と言う人も中にはいる

 

だが思う

 

最初に述べたように、発達障害のかたにもカサンドラのかたにも人権はあり、擁護されるべき点が必ず存在しているのだ

そして繰り返しになるが、その双方の人権無くして双方の支援も発生しない

 

発達障害者がカサンドラを生んでしまう、というと語弊があるだろうが、そういった形になってしまうのは、発達障害者が適切な支援、もしくは診断・治療を受けていない可能性が高いこと。そして、発達障害、特に自閉スペクトラム症に多い「相手やその場の状況を把握することが困難」という特性も原因のひとつと思われる

 

発達障害者は治療を受けてもなお、特性を隠したり治せるわけではない。そもそも発達障害者が社会で適応するには、凸凹を別の何かで補うこと、自らをそうさせる方法を自らあみ出し提案出来るようにならなければ、難しいと言っても過言ではない

 

その為適切な治療を受けても、適応出来るか否かは7、8割がた発達障害者本人の「工夫」にもかかってくるとわたしは思う

 

またカサンドラの方々が大変苦労されている点はもうひとつあり、それは「診断されても本人に自覚が無い」もしくは「本人が自覚しようとしない」点である

 

「俺は普通だよ」「こんなの誰でも同じだ」

 

そのような言葉を放つ人もいるという

この発言こそ発達障害(特に自閉スペクトラム症に多い)特有とも言われる「思考の視野の狭さ」によるものでもある

 

あなたは普通ではないのだと言っても今までの人生で培ってきたもの、プライドなどもあり、また思考に柔軟性が乏しい為、わたし自身ですらそうなりがちである

 

 

長くなったが、我が家は母が父を擁護せず、母は父のことを子どもに悪く言うことで子どもに擁護されようとした

当然子どもはそれを信用し父を擁護しなくなり、敵視したりし始める

 

父が「恥ずかしい存在」という認知の歪みを母に植えつけられてしまうのだ


父は擁護されるどころか無邪気な子どものようにそれを知らないまま今もいる、齢66…。

 

発達障害者と健常者と呼ばれる類の人間のパートナー問題。これは発達障害が存在しなければ存在しない問題なのか?とよくわたしは自問自答しているが、答えなどない、そこは人間の姿をしたひとつの生命体同士の問題であり、それが今や社会的なものとなってしまった、昔々のそのまた昔から実は存在していた、そういうものであろう

 

それを解決出来るかは本人たち次第ではあるが、もし自らの手では追えない場合には、本当に早期から専門機関への相談をお勧めする

 

場合によっては、法的手段をとることも、望むのであれば必要になってくる

 

膨大な苦労の日常から、両者が少しでも良い支援を受け、良い方向に向かうことを願うばかりである

ぴーさんとのわかれ

昨日、2年間お世話になったPSWのMさんと、最後のケースワークを終えてきた

 

現在のクリニックにわたしが通い始めてから今まで、ずっと担当をしてくださったMさん

 

今の目標、これからどうしていきたいか、わたし自身の思いを、一応全て伝えられたと思う

 

先々週、Mさんの前で激しく泣きながら「もう疲れてしまった」「責めるつもりは毛頭無いけれど、何故このタイミングで…」と言ったわたしを、今までで1番の悲しい表情で見つめてたMさん

 

今日は笑ってわかれようと決心してたけれど…

 

やっぱり涙がこぼれ落ちてしまった

 

そんなわたしを見てMさんも時折目尻に涙を光らせていた

 

どれだけわたしが彼女に依存してたかがわかる

だからこそつらい

 

で電車にすら乗れずタクシーで帰る時、車椅子でクリニック1階まで連れて行ってくださったり、キーキーと泣きながら怒っていたわたしを心配そうに見つめて諭してくださったりした、2年前が本当に懐かしい

 

「本当に大変だったんですよね〜あの頃!」

 

と笑いながらも感慨深げに話すMさんが、印象的だった

 

最近痩せてしまったMさん。今回は退職だけれど、どこかできっと見守ってくださってると思う

 

今もどっかの喫煙所で煙草ふかしているんじゃないかなぁ、とか、勝手に思ってしまう

 

上手く気持ちがまとめられないまま、このブログを書いているが、最後に入学する予定の大学に提出する小論文をMさんにも読んでもらった

 

「……完璧ですね!!!」

 

ニヤリ笑ってそう言ってくださった

 

部屋を出る時に、手紙を渡すことが出来たので、わたしの中で彼女に対して心残りはほぼ無い。言いたいことは山ほどあったけど、本当に大好きで大好きで…憧れる存在だった

 

彼女がいなければ、わたしの今の目標は無かったし、彼女と出会わなければもっと崩れてたのかもしれない、そう思うと本当にMさんは凄い姉のような眼差しで見守ってくれた大きな存在だったのだと思う

 

思いの丈は手紙に託して渡したのでここには書かないが、本当にMさんに出会えて、わたしは嬉しかった

 

Mさんからの卒業、おめでとう、わたし

わたしの感じる「別れ」

人は、人生で様々な「別れ」に遭遇する

 

喧嘩別れ、卒業しての別れなど、色々挙げればキリが無いが、その「別れ」の中には、当然だが「死による別れ」もある

 

以前、自閉症児の親御さんが「この子は人の死の意味がよく理解出来ない、何か大変な事が起こったということは解釈したらしい」ということを仰っていたのを思い出した

 

わたし自身、人が亡くなっても、葬儀で周囲が泣いている中、平気でケロッとした表情で、淡々としているとよく言われるし、自分にもその自覚はある

 

最初はその前述の親御さんが仰ったように「わたしは自閉傾向が強いが故に、人の死などの意味がよくわかっていない」のだと思っていた

 

 

ところが、それを覆す出来事が起こる

 

 

昨年、今年と、とある知人が2人自死した

 

 

しかし、わたしは特に何も考え込む事なく、知人の死の後も平然としていた

寧ろその事をカウンセリングで伝えた心理士のほうが、その平然さに驚いていた

 

そして更に、わたしと同じように知人を自死で亡くした友人と、その事について話す機会があった

そこで気付いたのである

 

わたしは「割り切っていたのだ」ということに

 

人は亡くなってしまえば、もう会うことは二度と無い

寧ろ会いたくてもそれが叶うことはもう無いのだ

 

わたしの中で人が亡くなるということは、もう会えないから「諦めがつく」のだ

 

当然ながら自死した人間に、何故?といった疑問もわかない

もうその人は、その人の人生を全うし、最期も自分で選べた、それを周りがとやかく言う資格は無いのだと、少々残酷な表現であることは承知の上だが、思うのだ

 

 

では、「生きたまま別れる」ことに関してはどうだろう

 

 

生きたまま別れるということは、確かにもう会うことは無いのかも知れないが、生きている限り、この世の中の何処かには存在する

だから、もしかしたら、何処かでまた会ったり、すれ違う可能性すらあるのだ

 

そう考えると、わたしは「死に別れ」より「生き別れ」のほうが物凄くつらい

 

わたし自身は葬式などで、泣いたことは一度も無い

だが、文字通り生きたまま別れを告げられる場面では、あまりに密な関係の人間だと、それこそ号泣する。涙が溢れて止まらなくなるのだ

 

最近だと、わたしが大好きだったPSWのかたが、退職するという出来事があった

わたしがそのクリニックに通い始めた頃、めちゃくちゃな状態で荒れていたのを知っている、数少ない支援者である。彼女はわたしのその荒れていた頃から、やっと少しずつ落ち着くまでの過程を、ほぼ全て見ていた

 

先日、そのPSWとのケースワークで、嗚咽を堪えながら泣くわたしを、彼女は申し訳なさそうな表情で見つめながらこんなことを言った

 

「あなたにとって、これはひとつの「卒業」なのかもしれないですね」

 

卒業、17年ぶりにその言葉をきいた

 

そう、わたしは彼女にそれだけ依存していたということ、そこから彼女がいなくなることで「彼女(PSW)から卒業」という意味合いなのだ

 

「これから色々変化していく中で、良い転機なんだと思う。お互いつらいことだけど、良い意味で卒業、ですね。悪い意味で捉えないで、良い意味で」

「わたしが居なくなる、という変化と、でも、変わらないものもある。〇〇先生(主治医)と△△先生(心理士の先生)は、此処に居るから」

 

そんな言葉を彼女はわたしに言い聞かせるように言った

わたしはうんうん、と涙を拭いながら頷いた

それは自分への言い聞かせでもあった

 

 

生きたまま別れること、死に別れること、人生生きていれば数多く遭遇するものである

そして、人それぞれその捉え方も違う

 

この記事の捉えかたはあくまで「わたしの場合」である

これから年齢を重ねていく中で経験していく様々な「別れ」を、自分の中で如何に受け容れて消化していくか、大きな課題になりそうだ

ハンドメイドを始めたきっかけ〜わたしがキラキラを作る〜

わたしには、ハンドメイドという趣味がある

 

発達障害解離性障害という、わたしに貼られたレッテルのようなものから、少しでも離れられる、そういうものとは関係の無い世界…。

 

わたしがハンドメイドを始めたのは、今から約28年前、4歳の時である

 

もともとキラキラしたアクセサリーが好きで、乳児期の写真には母親のアクセサリーや、子ども向けビーズを眺めているものもある

 

そんなわたしが4歳の時、何故そんな幼い頃からハンドメイドを始めたのか

 

そこには4歳児らしからぬきっかけと想い、そして決意があった

 

わたしが4歳になって間もない1990年8月2日、イラク軍が隣国クウェートへの侵攻を開始し、それをきっかけに国際連合多国籍軍の派遣を決定したことから、翌1991年1月17日、イラク空爆して「湾岸戦争」が始まった

 

ラジオやテレビからは、毎日のようにそのニュースが流れていた

 

そんなある時、偶然祖母宅で見たのは、テレビに映る戦地の映像だった

 

我が家では母がクリスチャンだった為、子ども達も毎週日曜に教会のミサに連れていかれていたのだが、そのミサの中で「平和」という言葉を毎週幾度となくきき、その言葉の意味をある程度把握していたわたしは、テレビを見て動けなかった

 

平和平和と毎週言わされてたのに、このテレビに映る戦地は平和のかけらもない

逃げ惑う人々、廃墟の如く破壊された街、怪我をした幼児の姿…

 

4歳だったわたしには衝撃でしかなかった

 

そんな時、ふと思った

 

「わたしの住んでる世界って、こういうこともあるんだ」

「暗くて嫌なお話…」

 

「そうだ、こんなに世界が暗いなら、キラキラしたもので世界をキラキラにすればいいんだ!」

 

「世界が暗くても、わたしがキラキラを作って、みんなに見せたら、みんなもキラキラにならない?それが地球にいっぱい広がったら、全部がキラキラになる!」

 

「そうだ、ビーズでお部屋を飾ろう、そしたらまずはお部屋からでもキラキラになるよね?」

 

わたしは居ても立っても居られなくなり、母親にビーズでアクセサリーを作りたいと訴えた

 

すると、ハンドメイド好きな母は、普段なら簡単に物を買い与えることを絶対しないのに、快く受け入れて、ビーズを買ってくれた

 

それはアクリルだかプラスチックだかで出来た、オーロラ加工のされた当時流行りのビーズだった

 

わたしはそれで手始めにネックレスを作った

この写真のネックレスがそれである

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よく見ると、色の選び方、色の配置などに規則性があるのがわかる

 

それからというもの、今までにガラスビーズ、スイーツデコ、ネイルチップアート、スワロフスキー、チェコビーズ、天然石、レジンなど、様々な分野に手を出してきた

 

幼児期からハンドメイドを始めて約28年間、正直スランプは何度もあった

 

今回、グループ展に出させていただくが、そこでも様々な葛藤があった

 

そんな中、この4歳の時にハンドメイドを始めたきっかけを思い出したのだ

 

わたしが使う資材は、キラキラと輝くものがかなり多い

オーロララメやオーロラ加工されたもの、ギャラクシーなイメージのラメもよく使用する

その背景がこのハンドメイドを始めるきっかけにあったのだと、やっと気付いた

 

わたしは、わたし自身に自信が無い

ただ、ハンドメイドをするにあたり、拘りは物凄くある

 

オーダーいただいたら、予算内で希望いただいた1番良い質の資材を使用し、さらにパーツの位置などは事細かに確認し、希望に添えるように最大限の工夫をする

 

そんな拘りもあってか、年々アクセサリーのフルオーダーをされるお客様も増えている

ちなみにお客様の比率は男女半々くらいで、イベントだと女性が多く、フルオーダーなどオーダーに関しては、実は男性のほうが多い。男性は動物をイメージしたものからユニセックス系など、幅広い趣味層のかたに愛用していただいている。中には3年ほど前にオーダーいただいたキーホルダーを今もカバンにつけている男性もいらっしゃって、本当に感謝である

 

わたしの作品を少し紹介しよう

7、8年ほど前に作ったネイルチップ

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5年前に製作開始した、スワロフスキーを使用したストラップ

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レジンを使用したアクセサリーの数々…

2016年の作品

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男性にオーダーいただいたペアリング
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グループ展にて出品した作品
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最近の作品
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また、2017年12月、レジンクラブ様主催のレジンアートコンテストで、特別賞を受賞した

これがその作品である

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今後のハンドメイドイベントの詳細を以下に宣伝も兼ねて記載します

9/20〜9/24

Lupopo cafe様にて、グループ展「夜展〜綾なす望月〜」

 

11/17(土)

パシフィコ横浜にて、ヨコハマハンドメイドマルシェ

「Happy QucCa」として出展

 

【委託販売先】

上板橋の「日向箱(ひなたぼっこ)」様

SL-562(9/30まで)

SW-503(10/1〜)

 

自由が丘の「MIKKE」様

R-83

MIKKE様は今年10月末で委託して2年を迎えます

 

楽しく作ることを、これからも重要視していきたいものである

 

 

「見捨てない治療」が生み出す苦痛〜延命措置の現場を目撃して〜

現在、精神科病棟では患者の高齢化が進んでいると、最近思う

 

わたしが入院している病棟も、本来であれば精神疾患を持つ人が入院する、ストレスケアをメインに休息する為の病棟ではあるが、7、8割が70歳以上の高齢者、その殆どが認知症を患っていると思われる

 

中には認知症病棟でストレスが溜まり、それをきっかけにストレスケアの病棟に来た患者もいる

 

今月始めに80歳近い女性の認知症患者が、急変した

 

点滴に24時間繋がれ、座ることも出来ない

入浴時はストレッチャーで移動しオール介護

食事は流動食すら困難

 

そして、痰の吸引のような治療が毎日決まった時間に行われる

 

それも、苦痛を伴うそうだ

 

毎回看護師が処置するのだが、その患者は

「痛いよ、やめて」

「助けてよ」

と泣きながら懇願する

 

先日も20代の若い看護師が

「ごめんね、もう少しで終わりますからね、もうちょっとよ」

と励ましながら処置を施していた

 

この女性の患者は、身寄りもいないらしい

というのも、この2ヶ月半病棟が同じだが、一度として見舞客を見た事がない

また80歳近い高齢と、認知症による意思の疎通が難しい状態である

 

その厳しい現状の中、急変したご本人が延命を望んでいるのかも、恐らく判断が難しいと思われる

しかし、泣きながら懇願するその患者を見て、物凄い苦痛が生じているのは、恐らく定かである

 

何故、そこまでの苦痛を伴う治療を施しているのか

 

この病院は

「絶対に見捨てない」

ことを基本理念として掲げている

 

その基本理念を見た時、ああ、こういうことか、と思った

 

「見捨てない」ことに恐らく相当な重きを置いているのだ

 

それが、意思疎通の難しくなった患者への、苦痛を伴う延命措置・治療に繋がっているのではと思った

 

家族など身寄りがおらず、配偶者もいない(もしくはご本人を見れる状態ではない)、恐らく生活保護…。

 

そんな現状の中、患者の状況が急変してしまうと、あとは医師の判断にしか頼ることは出来ないし、看護師や他の病院スタッフも、それに従う他は無い

 

延命措置・治療とは、基本ご本人やご家族の意思を尊重する上で行なったり、止めるなりするものである

 

しかし、身寄りの無い意思疎通の難しい患者が、今回のように急変した場合は、誰の意思を尊重して治療に繋げるのだろうか

 

医師であれば、現場で苦しむ患者を救う仕事柄、ましてやこの基本理念を掲げていれば、当然のように延命措置を行うのかもしれない。看護師も然り。

 

見捨てない医療に重きを置き、それに沿った治療をしたくても、身寄りのないご本人と意思疎通をはかるのが難しい以上、もうこれは、治療をしながら患者が亡くなるその時を迎えるまで、苦痛を伴う治療は続くのだろう

 

患者に治療を施す立場の人間である医師始め、看護師はどんな思いでいるのだろう

 

先日夜、隣の病室の60代男性患者がパニック症状を発症した

苦しい、死にたくねえ、助けてください、と泣きながら叫ぶ

夜勤看護師がどうしたの、ときいても、苦しいとしか答えられない。たまたま別の階で業務を行なっていた看護長も何事かと患者に駆け寄る

 

いつも明るくて元気なのが取り柄で、もうすぐ退院するかも、とニコニコした嬉しそうな笑顔で周りに話していただけに、看護師始め看護長も驚いたようだった

翌朝元気そうな顔を見せるも、2時間も経たないうちにパニックは再発

結局医師が点滴や注射で落ち着かせるという事態にまでなった

 

人は一度急変したりしてパニックに陥ると、その時の恐怖感は簡単には消えない

結果、その時の恐怖感を引きずってしまい、再び第二第三のパニックを引き起こし易くなる

 

男性患者は早くに奥さんを亡くし、やはり身寄りが無い

妻の最期を看取ったその男性は、ふとこんなことをわたしに呟いた

 

「おれ、このままあいつみたく、ポックリ逝っちゃうのかと思ったよ…」

 

とても寂しそうな顔だったが、すぐにいつもの笑顔で

「昨日うるさくしちゃって申し訳なかったね」

と照れたように言った。その笑顔が何とも切なかった

 

その男性やわたしを担当する、若いPSWのかたと、延命措置・治療について話したことがある

その時彼女はこんな事を呟いた

 

「わたし、もう医療機関は懲り懲りですね…」

 

わたしはこう返した

 

「わたし自身、現場に実際立つことにならないと、何とも言えないけど、やっぱ見ててつらいこと、思うところはあると思う…それでも、どこかでこういう場面に立ち向かうことをある程度覚悟しなければならないのかな?と思った…」

 

彼女はうんうん、と頷いた

 

「でも…患者さんを1番側で見る密な関係でいると、感情的になったり、入り込んでしまうこと、あると思います。それで病むじゃないけど、心苦しいというか…」

 

わたしがそう続けると、彼女はこう言った

 

「そうですね…それはありますね…」

 

窓の外、降りしきる雨粒を見つめながら小さな声でそう言った彼女

 

見捨てない医療という基本理念に従ってもなお、悩みは日々尽きないのだろう

20代という、若い年齢ながらもPSWとして日々現場に葛藤しつつ立つその瞳に、うっすらと涙が浮かんでいた

 

少しの間を置いて

 

「じゃ、わたし、ちょっくら仕事戻ってきます」

 

と、いつものキリッとした笑顔で彼女は去っていった

 

終わりに…。

延命措置・治療に関しては、ご家族やご本人の中で様々なご意見があることを承知の上で、わたしという、その現場を日々目撃している患者の立場の人間が、思ったこと、感じたことを、飾ったりせず、見たまま、そのままを綴らせていただきました。現在延命措置・治療を受けていらっしゃる患者さん、また共にたたかうご家族の皆様の苦労は、わたしには計り知れないものです。患者さんの回復を心からお祈り申し上げます