ももたんの発達障害ライフ

発達障害当事者であるももたんの声をお届けします

わたしの解離性障害③〜マイワールド〜

解離性障害について綴り始めて3回目のブログ

 

今回はマイワールド(原初的世界)について書いていこうと思う

 

以前このブログで「帰るべき場所がきっとある〜わたしのファーストクラス〜」というタイトルで以下のリンクのブログを書いた

 

http://momotan0712.hatenablog.com/entry/2017/04/09/212756

 

大多数の人は自分の家という場所に住み、生活を送っている

人は地球という星に生まれ、親の元で育ち、学校に行って勉強をして社会に出て、次第にそれぞれ家庭を持ったり自立した生活を送るようになる

 

勿論その過程は様々で、親から離されて育った人もいれば、自分の親がどんな人なのか知らない人もいるし、学校や会社に行かずに遊んで暮らしている人、病気で病院が家のような場所だと言う人もいる

 

わたしが日々ネット(主にTwitter)を見て、よく聞く言葉がある

 

「星に帰りたい」

 

そう語る多くの人が発達障害解離性障害を持つ障害者である

 

こんなことを話してくれた解離性障害の女性がいた

 

「わたしね、自分は宇宙から来たと思ってるの。どっかのわたしだけが住む星があるんだよ」

 

まるで「自分は「火星の人類学者」のようだ」と述べたテンプル・グランディンの言葉のようである

地球に生まれ住んでいながら宇宙人の中で生きているようだとその女性は思っていたのだろうか

 

彼女の言葉をきいて、わたしは解離性障害のことが書いてある記事の中にあった、女性の言葉を思い出した。以下に引用する

 

「向こう側へ行くと私しかいない。自分と世界の境目がない。地面も、空気も、遊び相手も全部が私。向こう側は人がいなくて、言葉がない世界。元々いた場所へ帰ることで楽です。そこからいつ頃こっちに来たかがわからない」

 

これは解離性障害の専門の柴山雅敏氏著「解離の舞台ー症状構造と治療ー」の198ページ目に書かれていた言葉である

 

星に帰りたい、と言った解離性障害の当事者達の多くは、この「自分だけの世界」所謂マイワールド、原初的世界を持っているという

 

このマイワールドは、記事を多少引用して述べると、アスペルガーの女性が持っていることが多いとも述べられているそうで、現実世界に居場所が無かったり、人に同調したくても空気が読みきれず、物に同化したり溶け込む不安定さを抱えた人が持つ「原初の世界」自分だけのマイワールドだそうだ

 

解離性障害の人たちは空想世界(パラコズム)を構築していると言われる。わたし自身も思い当たる節がある

 

小学校高学年〜中学生の頃から物語を書くのが好きだった。しかしそれは自分が「こういう時こうなればいいな」という妄想や空想であり、ストーリー性があるかというとその辺りは曖昧であり「もしこういうことがあったらこうなってしまえば自分の思い通りだ」といった、自分の思い通りにしたいという欲求でもあった

 

ただそれが現実に起こりうることかというと、全く不可能であり、現実とは遠くかけ離れたものであった

 

ただ自分中心で世界が回ってしまえばどんなに楽しくて楽だろう、といった少々危険な妄想でもある

 

これが解離性障害と何か関係性があるのかというと、はっきりあるとは言えないが、少なくとも現実世界から自分を切り離し、自分だけの世界、空想の世界に毎晩眠る時に浸っていたのは確かだった

 

この思考は大人になるにつれて変化していく

 

それから20年ほど経ったわたしは、先ほど貼ったリンク先のブログで、具体的な想像を文章化している

ここからはそのブログを引用して解説していこう

 

ブログは

「そこは森を越えたとある草原  そこにはひとつの小さな木の小屋があります  わたしはそこへ、疲れ果てた状態で足を引きずって辿り着きます」

という文章で始まっている

現実世界に疲れきってしまった自分が、この世界を歩き続けて辿り着いた場所が、小さな小屋だという

 

続いて

「木の扉を開けると、そこにはわたしを助けてくれたり、見つけてくれた人たちがたくさんたくさん集まっていて、わたしを見て「おかえり」「待ってたよ」と笑顔で声をかけてくれます」

とある

実はこのブログを書いた時点で、この「たくさんたくさん集まっている人たち」が誰なのかは、明確にわかってはいない。ぼうっとした人影のような人が殆どなのである

このぼうっとした人影は、これから出会う人なのではと今も想像している

 

「人々はそれぞれに会話を楽しみ、料理に舌鼓をうち、本当に幸せそうにしています」

 

「わたしが例えボーッと座っているだけでも満たされるような、そんな空間」

「憧れてた温かい空間」

「帰るべき家がこんなところにあったんだと」

 

(中略)

 

「求めてた、けれど、届かなかった」

「憧れてた、けれど、手に入らなかった」

 

つまりこの空間は想像でもあり、自分が求めていたけれども叶うことがこの時は無かった、憧れの夢のような世界であり、自分が求めていた理想の世界でもある

 

このブログをわたしは涙をボロボロとこぼしながら書いた。切なくて悲しくて、でも想像の中では温かくて

その世界が本当にあるのなら、足を引きずってでも辿り着きたいと、わたしはブログで綴っている

 

自分はファーストクラスの座席に座れるような立場の人間では無いけれども、その場所が、空間が本当にあるのなら、其処こそが自分にとってのファーストクラスなのだと。。

 

ブログはこう綴って終わっている

「ありふれた日常の中で、その夢をずっとずっと見続けて、わたしは死んだら天国じゃなくて、其処に行くんだと、今もこれからもずっとそう思い続けるのでしょう(中略)この死後の世界へ僅かな希望があるからこそ、今を必死で生き抜こうと思えるのだ    そう言い聞かせて、明日も生きていこうと思います」

 

このブログでは「死後の世界」としているが、この世界こそ、わたしの中での「マイワールド(原初的世界)」なのだと、思っている

 

人が生きる上で、与えられて当然の「温かい家庭」の中で成長することが出来なかったわたしが、本当の家は自分の実家ではなく、此処なんだ!と改めて感じた瞬間であった

 

わたしの解離性障害〜②イマジナリーコンパニオン〜

前回は解離性障害について大まかな説明をさせていただいた

ここからはわたしの解離性障害について、より深く掘り下げた上で綴っていこうと思う

 

先ずは幼少期からのイマジナリーコンパニオン(空想の友達)についてである。ここでもとある記事から引用しつつ、書いていく

イマジナリーコンパニオンの説明の前に、「感覚の洪水」というものが存在することを説明しなければならない

 

ひとえに「感覚の洪水」と言っても分かりづらいと思うので、どういったことが感覚の洪水なのか、例を挙げてみよう

 

・人間の相手をするのが嫌、相手の気持ちを読まないといけない、ごちゃごちゃする時は混乱する

・色んな思考が頭に湧き出てきて止まらない、周りの人の会話が混ざってしまい、入ってくる(ここは恐らくASD自閉スペクトラム症)の特徴でもあるカクテルパーティー効果が働かないのもひとつの原因であろう)

・人との会話の区別がつかなくなることがある、考えたくないのに考えてしまう

・考えるのを止めなくてはいけないと思っても止まらない、泣き出したい、大声を出したくなる

 

以上、記事から抜粋したものだが、これを読むとHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)の症状にも類似していることがわかる

自分もASD優位であり、更にHSPの気がある為か、上記の例を読む際若干フラッシュバックのようなものが発生したが、こうした感覚の洪水に圧倒された結果、パニックになったり自傷行為に及んだり、フラッシュバックが発生することは少なくない

 

感覚の洪水から逃げて刺激を避ける、所謂「環境調整」を行う際に、当事者は「心を切り離す」といった解離を利用した心理的な方法で対処する人もいる

 

心の切り離しとはまさに解離であり、当事者はこれを「自分を飛ばす」とも表現する

例として、例えばこっ酷く叱られて自分がもう耐えられない、キャパオーバーをしてしまうと感じた時に、自分という1人の人格をポーン!と跳ね飛ばし、もう1人の自分に代わりに叱られてもらう、という解離を自ら起こす

当然ながらもう1人の自分は叱られるわけだから、その子はストレスが溜まるし、本人を良く思わない人格に形成されてしまうことも少なくない。結果的に不満から、その子が本人の希望も無いのに自傷行為に及んでしまうことも多々ある

 

ここで出てくるのがイマジナリーコンパニオンである

イマジナリーコンパニオン(空想の友達)は何も解離性障害の人だけに存在するものではない。健康な子どもにも多く見られることである。例えば1人遊びをする子どもが空想の世界に浸り、まるでもう1人子どもがいるように見えない何かに話しかけたりすることがあるが、それもまたイマジナリーコンパニオンである

イマジナリーコンパニオンは通常は遊び相手であったり、孤独を癒す空想上のもので、10歳前後には自然と消えるものなのだが、時にそれが大人になっても存在することがある

通常は親しい友人ができると消失することが多いと専門家は述べており、わたしのように大人になっても存在する場合は、周囲からの孤立や孤独感、現実世界に馴染めないつらさからイマジナリーコンパニオンが形成され、これらは社会性の障害と関係性があるのでは、ともされているそうである

 

わたしがイマジナリーコンパニオンについて調べた時、以下の文章を目にした

 

「子ども時代のイマジナリーコンパニオンは一般的な通識とは異なり、孤独で友達のいない子どもではなく、寧ろ外交的で共感能力の高い子どもに見られることがわかっている」

 

これを見てわたしの子ども時代を振り返ってみた。わたしは元々積極奇異型のASD優勢広汎性発達障害当事者である。人に積極的に話しかけ、遊ぼうとし、時にはドン引きされるほど人に依存しかけたりした

共感能力も非常に高く、様々な事に対し感情移入してしまうことがあった。所謂先に述べた「感覚の洪水」でもある

 

わたしのイマジナリーコンパニオンは何人か存在した。子どもの頃は定型発達者のイマジナリーコンパニオンのように話し相手や友人代わりにしていたのだが、わたしが成長するとそのイマジナリーコンパニオンは「自分の身代わり」に役割を変えてゆく

 

自分の思考の中でA、Bというイマジナリーコンパニオンがいたとしよう。わたし自身が困難にぶち当たった時、わたしの脳内ではこのような会話が繰り広げられる

 

わたし「もうダメ、自分じゃ耐えられない誰か代わってよ」

A「そっか〜どうしようか?わたし出る?Bはどう思う?」

B「うーんこの場合は自分は対応出来ないなぁ、ごめんけどAお願いできる?」

A「OK!わたし出るね!」

 

こうしてAがわたしの「盾」となり出てきてくれる。所謂人格交代だ。Aが出ている間、わたしはAを遠くから見る感覚でいる

Aが身代わりとなり、わたしの代わりに困難に立ち向かっているのだ。その時のAを思うと正直つらい。涙が溢れてくるほどである

 

ここで漸くお解りだろうか、解離性障害であるわたしにとってのイマジナリーコンパニオンは、その名の通り「伴奏者(コンパニオン)」から「もう1人の自分(人格・パーソナリティ)」へと変わっているのである

 

わたしのような解離性障害当事者が困難を生き抜くには、このように世間からは「逃げ」とも言われてしまうであろう方法を使わなければ、なかなか生きてはいけない

 

しかし忘れてはならない、解離は健常者にもあるということを。今回の記事に例えて言うならば、母親が子どもを叱る時に鬼の形相で怒鳴っていたのが、そこへ電話がかかってきて別人のように猫撫で声で話し始めるといった光景は、かなりの人が経験していると思うが、これも一種の解離なのである

ただこれに関しては当然の行動であると思う。電話の相手に子どもを怒鳴っている口調と同じ口調で話すわけにはいかない。となると、その母親は「意図的に怒鳴っている自分を飛ばしてよそ行きの自分を出す」ことをしているのだ

 

このように解離は何も解離性障害の人だけが経験するものではなく、全ての健常者も持ち合わせているのである。ただそれが病的になるかならないか、の違いなのだ

 

わたしの中で幼い頃存在したイマジナリーコンパニオンは、今や複数の人格となり、存在しているが、わたしの場合これは正直「場面場面に適応した自分を出していること」に過ぎない。ただ自分がキャパオーバーにより限界を迎えた時、それは病的に現れ、幼児退行といって幼い子どものような口調になったり甘えたりするが、それは「自分を守る為に自分を飛ばしている」のである

わたしの解離性障害〜①解離性障害とは〜

今日から自分の解離性障害について、少しずつカミングアウトしていこうと思う

 

現在一人称は「ぼく」となっているが、性別判断などややこしい為、このカミングアウトでは「わたし」としておこう

 

わたしの解離性障害は「解離転換性障害(かいりてんかんせいしょうがい)」である

所謂痙攣を起こす脳の障害「癲癇(てんかん)」とは全くもって別であり、この障害に関しては脳の異常による痙攣は一切無い

また、癲癇によく見られる脳波の異常も全く無い状態である

 

解離性障害と言うと、一般的な知識としてはかつて俗に「多重人格」と呼ばれていた「解離性同一性障害」と認識するかたが多いのは、過去にTwitterのフォロワーを対象にしたアンケートの結果で判明しているが、解離性障害は何もこうした「解離性同一性障害」だけでは無い

 

自分が自分じゃ無いような感覚に襲われる「離人症(りじんしょう)」から、記憶が無いまま行動してしまう「解離性健忘(かいりせいけんぼう)」「解離性遁走(かいりせいとんそう)」などもあり、更に重くなると、先ほど述べた「解離性同一性障害」要するに「多重人格」となる人もいる

 

解離性同一性障害になると、自身の中で人格が複数現れ、人格交代が起こり、人格同士の意思疎通の困難、また人格交代した際に記憶が共有出来ないなど、患者本人の記憶が無いまま行動してしまい、時に患者は自傷行為や徘徊といった行動に出ることも少なくは無い

 

解離性障害の様々な病状については、わたし自身がまだ勉強中であり、不確かなものもあるので、その辺りは許して頂きたい

 

前置きが長くなったが、一先ず解離性障害にも様々な症状があるという事はお解りいただけただろうか

 

わたしの解離性障害は、人格交代があるものの、解離障壁(人格同士の壁)が無い、所謂記憶を共有でき、またわたし本人も解離した時の記憶がしっかりある為、解離した時は自分ではない人格が話したり行動する様子を、斜め上若しくは後ろから眺めているといった感覚で把握している

 

人格交代のタイミングは「キャパオーバー」がメインである

自分がいっぱいいっぱいになり、わたし自身の本人の人格だけでは耐えられなくなった時に、ポン!と余りにもスムーズに交代する

その為話をしている相手はその余りのスムーズさに「あれ?いつの間に?」となることが多いようだ

 

そもそもまず解離とは何なのか

ここからはとあるサイトからの引用も含めて紹介しよう(サイトへのリンクはブログの最後に記載します)

 

解離とは人の脳に備わっている自分を守る働き、つまり「防衛機制(ぼうえいきせい)」のひとつである

健全なレベルの解離は人は誰もが日常的に経験している。例として挙げるならば、楽しいことに没頭し時間を忘れる、自分から離れた客観的な視点で見る、空想の世界を思い描いて入り込むなども全て解離の一種である

しかし、それが強く働き過ぎると、先に述べた解離性健忘、離人症、人格が分離してしまう解離性同一性障害などの病的な域に進んでしまうことがある

 

この記事を書くに先立ち取らせていただいたアンケートでは、当事者としては少し残酷な選択肢もフォロワーに選んでもらった。以下画像である

f:id:momotan0712:20180608222501j:image

 

f:id:momotan0712:20180608222442j:image

先ず最初の選択肢で57票入っていた中で実に44%もの人が解離性障害は多重人格という認識のかたがおり、少数派ながらも演技なのではという認識のかたもいた

また2つ目の画像の選択肢の中で「出来れば解離の人とは関わりたくない」という人も28%に及んだ。だがこの選択をした人たちにも「健全な解離」が存在するのは、先ほど述べた通りである

 

このアンケートで有難い結果になったのは「もっと解離について知りたい」という選択肢を選んだかたが実に44%に及んだことである。この結果を踏まえて今回、この記事を書かせていただいている

 

解離性障害は健全な解離が病的に強く働き過ぎたが故に発症する障害であり、また「誰もが発症し得る障害である」ことも忘れてはならない

また解離性障害はその殆どが後天性である

 

ここまでは解離性障害の説明として書かせていただいた

次の記事からは「わたしの解離性障害」の本題に入ることにしよう。エピソードが多数ある為、シリーズ化してかなり踏み込んだ記事になる可能性があり、特に解離性障害当事者がこれを読む場合、きついな、と思ったら我慢せず、このブログを閉じることを勧める

 

また中にはわたし自身が受けた残酷なエピソードもある為、つらい、きつい、という感覚になった場合、続けて読むと精神的ストレスになり兼ねないので、休憩を挟んで読むことを勧める

 

※このブログでは以下のリンクの記事を参照して一部引用しております

https://susumu-akashi.com/2015/11/as-did/

改めて感じた有り難さ

今日、週に1回受けているカウンセリングの日だった

 

普段、自分は荒れ放題で、叫んだり醜い言葉を放ったりしてしまうこと、人を羨望の眼差しで見て、そこから憎しみや破壊衝動が出ることも話した

 

普通なら「おかしい」と言われるであろう感情である

心理士さんはそれを「人には誰にでもある感情なのだ。自分にもある」とした上で

「それでもわたしに対して何だお前って思うこともあるのでは」

と言ったので、自分は即

「無い。先生に対して「何だお前」と思ったことは一度たりとも無い」

と正直な思いを話した

 

「自分もそう思われてるんだと思う。凄く上から目線に感じられることも、何だよこいつ!って思われることもあるんだと思う…でもね」

 

ここで自分は一度言葉を詰まらせる

 

「でもね、そんな自分なのに、みんな何でここまで着いてきてくれるんだろうって思うことがある」

 

そういう思いは、ずっとしてきた

ネットでもリアルでも荒れる時は荒れ、泣く時は泣き、コロコロ感情の変化に自分自身も振り回され、自由奔放な言動や我儘な考えも、常に発信してきた

それでもなお、自分と話したり遊んだりしてくれる子たちがいる

そういうことを話した

 

すると心理士さんは大きく頷いた

 

「そうだよね、何だこいつ、心理士だからって大きな口叩きやがって!って思う人も実際いると思う。けど、あなたは本当よくここまで着いてきてくれて、こんなに話してくれて、想いも共有して…感謝しか無いよ、なんかもうね、泣けてくるよね」

 

そう言うと目尻から溢れた涙を指先で払った

自分もハンカチを目に当てて嗚咽を堪えて泣いた

 

嬉しかった

 

こんな自分の話をいつも聴いてくれること、毎週向き合ってくれることにお互いが感謝の意を改めて表した瞬間だった

 

そして、いつも繋がってくれる人たちへの堪え切れないほどの想いが溢れ、2人で感極まって涙した

 

今これを綴っていてもこみ上げるものがある

 

1人だと思って孤独を感じて生きている人間だけど、こうやって涙を流すほどの感動や感謝の気持ちがあるのは、やはり周りに人がちゃんといるんだという証拠なのだ

 

改めて周りの人には本当に感謝したい

先生方、心理士さん、ぴーさん(PSWさん)始め、多くの繋がってくれている仲間の皆さん、本当にありがとう

 

2人で流した涙が、こうやってまた少しずつ自分の成長する良い意味でのきっかけになった

人の記憶

主治医から言われた「記憶」に関する情報を以下にまとめました

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

人は記憶を取り入れると超短期記憶、短期記憶、中期記憶、長期記憶に分類されて貯蔵されるそうだ。


そしてそこから再生される=思い出すそう。 しかし貯蔵された人の記憶の中で再生されるのはそのほんの一部であり、その他殆どの記憶は貯蔵されたまま再生されることは無い。


 しかしながら全ての記憶は貯蔵され続ける為、忘れることは無いそうだ。なので忘れたように思えることも、実は全て貯蔵されているのである。


つまり、全ての記憶は忘れられることは無い。忘れたように思えるのは、貯蔵されている記憶が出てこないだけなのである。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

主治医はこのように話した上で、あなたが解離してもあなたが望まないことはしない、忘れたように思ったとしても、記憶にはきちんと貯蔵されている、ということを強調した

 

解離した人格も言ってしまえば自分なのである。自分の中の貯蔵した記憶の中にある「思い出す」という選択をされなかった記憶が「忘れたのだ」と思い込ませるのだろう

 

そうなってしまうと確かに恐怖かもしれない

 

主治医がこの話をしていた時、自分はかなりボーッとした状態だった。上記の主治医の言葉はそれから僅か数分後にメモに書いたものをコピペしたものである。このように文章化出来たのは、自分の中に貯蔵した超短期記憶の中から「思い出すという選択をされた記憶」なのだと思う

 

今日心理士の先生にこの話をし、メモを見せたら本当にその通りなのだと言われた

自分の中でも腑に落ちた、この主治医の話は、これからの自分にとって何かが変わるきっかけになると思う

看護師さんの言葉

先日、とある看護師さんの話をきいた

その看護師さんはYさんといって、還暦超えたくらいの海外でも看護職に従事したことがあるベテランの看護師さんである

 

この日、Yさんは認知症のことについて触れた

以下、Yさんの言葉を綴る

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

わたし達人間は、いつか歳をとるわね

人間は生まれた瞬間から死に向かっているのよ

どんな形で死を迎えるにしても、楽しいことで頭いっぱいにして逝けるといいわね

 

認知症ってあるでしょう

あれは、わたしはね、神様からの贈り物だと思っているのよ

 

人間ね、意識もはっきりと生きてる間、沢山の苦労をするわね。つらいこと、悲しいことも沢山ある。そして沢山涙流したり、時には死にたいと思うこともあるわね

手のひら返されるように裏切られたり、喧嘩して絶交することもあるのよね

 

認知症の患者さんて見たことある?

子どものようにニコニコして無邪気なお年寄りの方いらっしゃるでしょう

そういう人たちというのは、もしかしたらそのつらいこと、悲しいこと、苦労したことなどをもう忘れてるかもしれない

勿論、それは同時に大切な人のことも忘れてしまうことに繋がるわね

 

でも、その認知症の方たちは、本当に楽しそうにしてることが多いのよね

当然、その人がどんな思いをしてらっしゃるかはわからないわよ。だってわたしはその人ではないもの。その人だけの世界があるのよね

 

そのまんま、楽しい!って思いのまま、苦しみもなく逝けたら、凄く幸せなんでしょうね

残された人たちは悲しむ人もいらっしゃるかもしれないけれど、本人はきっと幸せなのよ

わたしもそのお話を数え切れないご家族のかたにしてきたわ

 

さっきも言ったけどね、認知症の患者さんが全て忘れてしまうのは、つらかったこと悲しかったことを

「もうこの人は充分頑張ったから、楽にさせてあげましょう」

という神様からの贈り物だと思うのよ

勿論そこには今までの記憶が殆ど思い出せないというリスクもね、あるのだけれど

 

全て記憶がはっきりしたまま逝くのはなかなかつらいもんでしょうね。残す家族のこととか考えながらで心配も尽きないでしょうし、いっそ全て忘れてしまえばそれもそれで良いのかもしれない、とね。切ないけれどね

 

あなた達も認知症が良いとは言わないよ、けれど人っていつどうなるかわからないでしょ?その時はその時が来るのよ、お迎えとかもそうよね

その時に

「ああ楽しい、楽しかった人生だった」

と言える、思える人生にしなさい

つらいことの記憶が強いなら、これからの人生それに負けない楽しいことを見つけなさい

そして楽しいでいっぱいにしてごらん

人間経験よ、お勉強もそうだけど、経験なのよ。だから沢山失敗して、悲しい時は思いっきり泣きなさい。楽しい時は思いっきり笑いなさい。悔しいは人を上げるバネになるよ

 

勉強なんて出来なくていい

ただ最後に

「色々あったけど幸せだった」

と胸張って言える人生にしなさい

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

この看護師さんの言葉は、いつまでも心に残しておきたい

「楽しいことを重ねて…」主治医の言葉

昨日、臨時で診察を受けに病院へ行った

 

ここ最近1人で過ごすのに恐怖を感じ、その恐怖を感じる度ほぼ毎日「自分を飛ばして」解離を起こす事

人に会っても別れる時の異常なほどの寂しさに耐えられず、電車の中でも泣き出しそうになったり、時には飛び込みそうにすらなる事

人と会う事に恐怖すら感じ、病院にも行かないほうが良いのではと思い始めていた事

などを、相談してきた

 

途中、過呼吸になり、涙が溢れて止まらなくなり、嗚咽するほど泣いた

 

主治医はまず、

「お薬とかそういうので対応する「対処療法」は出来るけれども、あなたはまず自分の力で対応出来る人。今までもそれで何度となくやってきた。(高認)試験も受かったし、大学に進もうとしている。非常に前向き。自分の力を出して対応出来るようになろう」

と言った

 

一度は納得したものの、やはりつらいのに変わりはないと、二度目の診察を受けた

 

その時友人が機転を効かせてくれたらしく、友人のすぐ後に呼ばれた

 

改めて恐怖感が抜けないつらさを、看護師さんに手伝ってもらいノートに書いた事を見せながら伝えた

そして、3月のコンサートすら恐怖感から行くのを戸惑うことを伝えた

 

すると主治医は

「あなたの記憶の中は何故か「つらい記憶」が残りやすい。それは生育環境から来る仕方の無い事。そこに、楽しい事を沢山して「楽しい記憶」を積み重ねて行こう」

「あなたはお友達にも恵まれている。あなたを慕って誘ってくれたりする「大切な存在」が側にいること、忘れないでね」

と、その日誘ってくれた友人の話も持ち出して言ってくれた

 

最後に

「もし本当に今の自宅での生活が限界を迎えたと感じたら言って頂戴。入院の手配をするからね」

と、入院も視野に入れている事を重ねて伝えてくれた

 

楽しい記憶がなかなか無いのは、自分自身に「楽しいという感覚」が無い、もしくはわからないことからあるんだという事は分かっていた。そこにどんどん「楽しい記憶」として、生きていく過程で「あっ、今凄く楽しい」と思った瞬間を沢山作り、積み重ねていく事を繰り返す事で意識の持ち方を変えていく…そういう事なのだろう

 

少しずつだが、前に進めているのかも知れない。まだ実感はあまり無いが、周囲からも「変わる時」なのだと言われている通りなのかも知れない

 

恐怖に勝つことはまだ出来ていないけれど、それに勝るとも劣らないほど「楽しい」と思えた瞬間を、覚えていたいと思う

 

写真は昨日友人と食べた食事。サイゼリヤは安くて美味しい!

f:id:momotan0712:20180207102031j:image