ももたんの発達と解離ライフ

発達障害・解離性障害当事者であるももたんの声をお届けします

ハンドメイドを始めたきっかけ〜わたしがキラキラを作る〜

わたしには、ハンドメイドという趣味がある

 

発達障害解離性障害という、わたしに貼られたレッテルのようなものから、少しでも離れられる、そういうものとは関係の無い世界…。

 

わたしがハンドメイドを始めたのは、今から約28年前、4歳の時である

 

もともとキラキラしたアクセサリーが好きで、乳児期の写真には母親のアクセサリーや、子ども向けビーズを眺めているものもある

 

そんなわたしが4歳の時、何故そんな幼い頃からハンドメイドを始めたのか

 

そこには4歳児らしからぬきっかけと想い、そして決意があった

 

わたしが4歳になって間もない1990年8月2日、イラク軍が隣国クウェートへの侵攻を開始し、それをきっかけに国際連合多国籍軍の派遣を決定したことから、翌1991年1月17日、イラク空爆して「湾岸戦争」が始まった

 

ラジオやテレビからは、毎日のようにそのニュースが流れていた

 

そんなある時、偶然祖母宅で見たのは、テレビに映る戦地の映像だった

 

我が家では母がクリスチャンだった為、子ども達も毎週日曜に教会のミサに連れていかれていたのだが、そのミサの中で「平和」という言葉を毎週幾度となくきき、その言葉の意味をある程度把握していたわたしは、テレビを見て動けなかった

 

平和平和と毎週言わされてたのに、このテレビに映る戦地は平和のかけらもない

逃げ惑う人々、廃墟の如く破壊された街、怪我をした幼児の姿…

 

4歳だったわたしには衝撃でしかなかった

 

そんな時、ふと思った

 

「わたしの住んでる世界って、こういうこともあるんだ」

「暗くて嫌なお話…」

 

「そうだ、こんなに世界が暗いなら、キラキラしたもので世界をキラキラにすればいいんだ!」

 

「世界が暗くても、わたしがキラキラを作って、みんなに見せたら、みんなもキラキラにならない?それが地球にいっぱい広がったら、全部がキラキラになる!」

 

「そうだ、ビーズでお部屋を飾ろう、そしたらまずはお部屋からでもキラキラになるよね?」

 

わたしは居ても立っても居られなくなり、母親にビーズでアクセサリーを作りたいと訴えた

 

すると、ハンドメイド好きな母は、普段なら簡単に物を買い与えることを絶対しないのに、快く受け入れて、ビーズを買ってくれた

 

それはアクリルだかプラスチックだかで出来た、オーロラ加工のされた当時流行りのビーズだった

 

わたしはそれで手始めにネックレスを作った

この写真のネックレスがそれである

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よく見ると、色の選び方、色の配置などに規則性があるのがわかる

 

それからというもの、今までにガラスビーズ、スイーツデコ、ネイルチップアート、スワロフスキー、チェコビーズ、天然石、レジンなど、様々な分野に手を出してきた

 

幼児期からハンドメイドを始めて約28年間、正直スランプは何度もあった

 

今回、グループ展に出させていただくが、そこでも様々な葛藤があった

 

そんな中、この4歳の時にハンドメイドを始めたきっかけを思い出したのだ

 

わたしが使う資材は、キラキラと輝くものがかなり多い

オーロララメやオーロラ加工されたもの、ギャラクシーなイメージのラメもよく使用する

その背景がこのハンドメイドを始めるきっかけにあったのだと、やっと気付いた

 

わたしは、わたし自身に自信が無い

ただ、ハンドメイドをするにあたり、拘りは物凄くある

 

オーダーいただいたら、予算内で希望いただいた1番良い質の資材を使用し、さらにパーツの位置などは事細かに確認し、希望に添えるように最大限の工夫をする

 

そんな拘りもあってか、年々アクセサリーのフルオーダーをされるお客様も増えている

ちなみにお客様の比率は男女半々くらいで、イベントだと女性が多く、フルオーダーなどオーダーに関しては、実は男性のほうが多い。男性は動物をイメージしたものからユニセックス系など、幅広い趣味層のかたに愛用していただいている。中には3年ほど前にオーダーいただいたキーホルダーを今もカバンにつけている男性もいらっしゃって、本当に感謝である

 

わたしの作品を少し紹介しよう

7、8年ほど前に作ったネイルチップ

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5年前に製作開始した、スワロフスキーを使用したストラップ

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レジンを使用したアクセサリーの数々…

2016年の作品

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男性にオーダーいただいたペアリング
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グループ展にて出品した作品
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最近の作品
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また、2017年12月、レジンクラブ様主催のレジンアートコンテストで、特別賞を受賞した

これがその作品である

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今後のハンドメイドイベントの詳細を以下に宣伝も兼ねて記載します

9/20〜9/24

Lupopo cafe様にて、グループ展「夜展〜綾なす望月〜」

 

11/17(土)

パシフィコ横浜にて、ヨコハマハンドメイドマルシェ

「Happy QucCa」として出展

 

【委託販売先】

上板橋の「日向箱(ひなたぼっこ)」様

SL-562(9/30まで)

SW-503(10/1〜)

 

自由が丘の「MIKKE」様

R-83

MIKKE様は今年10月末で委託して2年を迎えます

 

楽しく作ることを、これからも重要視していきたいものである

 

 

「見捨てない治療」が生み出す苦痛〜延命措置の現場を目撃して〜

現在、精神科病棟では患者の高齢化が進んでいると、最近思う

 

わたしが入院している病棟も、本来であれば精神疾患を持つ人が入院する、ストレスケアをメインに休息する為の病棟ではあるが、7、8割が70歳以上の高齢者、その殆どが認知症を患っていると思われる

 

中には認知症病棟でストレスが溜まり、それをきっかけにストレスケアの病棟に来た患者もいる

 

今月始めに80歳近い女性の認知症患者が、急変した

 

点滴に24時間繋がれ、座ることも出来ない

入浴時はストレッチャーで移動しオール介護

食事は流動食すら困難

 

そして、痰の吸引のような治療が毎日決まった時間に行われる

 

それも、苦痛を伴うそうだ

 

毎回看護師が処置するのだが、その患者は

「痛いよ、やめて」

「助けてよ」

と泣きながら懇願する

 

先日も20代の若い看護師が

「ごめんね、もう少しで終わりますからね、もうちょっとよ」

と励ましながら処置を施していた

 

この女性の患者は、身寄りもいないらしい

というのも、この2ヶ月半病棟が同じだが、一度として見舞客を見た事がない

また80歳近い高齢と、認知症による意思の疎通が難しい状態である

 

その厳しい現状の中、急変したご本人が延命を望んでいるのかも、恐らく判断が難しいと思われる

しかし、泣きながら懇願するその患者を見て、物凄い苦痛が生じているのは、恐らく定かである

 

何故、そこまでの苦痛を伴う治療を施しているのか

 

この病院は

「絶対に見捨てない」

ことを基本理念として掲げている

 

その基本理念を見た時、ああ、こういうことか、と思った

 

「見捨てない」ことに恐らく相当な重きを置いているのだ

 

それが、意思疎通の難しくなった患者への、苦痛を伴う延命措置・治療に繋がっているのではと思った

 

家族など身寄りがおらず、配偶者もいない(もしくはご本人を見れる状態ではない)、恐らく生活保護…。

 

そんな現状の中、患者の状況が急変してしまうと、あとは医師の判断にしか頼ることは出来ないし、看護師や他の病院スタッフも、それに従う他は無い

 

延命措置・治療とは、基本ご本人やご家族の意思を尊重する上で行なったり、止めるなりするものである

 

しかし、身寄りの無い意思疎通の難しい患者が、今回のように急変した場合は、誰の意思を尊重して治療に繋げるのだろうか

 

医師であれば、現場で苦しむ患者を救う仕事柄、ましてやこの基本理念を掲げていれば、当然のように延命措置を行うのかもしれない。看護師も然り。

 

見捨てない医療に重きを置き、それに沿った治療をしたくても、身寄りのないご本人と意思疎通をはかるのが難しい以上、もうこれは、治療をしながら患者が亡くなるその時を迎えるまで、苦痛を伴う治療は続くのだろう

 

患者に治療を施す立場の人間である医師始め、看護師はどんな思いでいるのだろう

 

先日夜、隣の病室の60代男性患者がパニック症状を発症した

苦しい、死にたくねえ、助けてください、と泣きながら叫ぶ

夜勤看護師がどうしたの、ときいても、苦しいとしか答えられない。たまたま別の階で業務を行なっていた看護長も何事かと患者に駆け寄る

 

いつも明るくて元気なのが取り柄で、もうすぐ退院するかも、とニコニコした嬉しそうな笑顔で周りに話していただけに、看護師始め看護長も驚いたようだった

翌朝元気そうな顔を見せるも、2時間も経たないうちにパニックは再発

結局医師が点滴や注射で落ち着かせるという事態にまでなった

 

人は一度急変したりしてパニックに陥ると、その時の恐怖感は簡単には消えない

結果、その時の恐怖感を引きずってしまい、再び第二第三のパニックを引き起こし易くなる

 

男性患者は早くに奥さんを亡くし、やはり身寄りが無い

妻の最期を看取ったその男性は、ふとこんなことをわたしに呟いた

 

「おれ、このままあいつみたく、ポックリ逝っちゃうのかと思ったよ…」

 

とても寂しそうな顔だったが、すぐにいつもの笑顔で

「昨日うるさくしちゃって申し訳なかったね」

と照れたように言った。その笑顔が何とも切なかった

 

その男性やわたしを担当する、若いPSWのかたと、延命措置・治療について話したことがある

その時彼女はこんな事を呟いた

 

「わたし、もう医療機関は懲り懲りですね…」

 

わたしはこう返した

 

「わたし自身、現場に実際立つことにならないと、何とも言えないけど、やっぱ見ててつらいこと、思うところはあると思う…それでも、どこかでこういう場面に立ち向かうことをある程度覚悟しなければならないのかな?と思った…」

 

彼女はうんうん、と頷いた

 

「でも…患者さんを1番側で見る密な関係でいると、感情的になったり、入り込んでしまうこと、あると思います。それで病むじゃないけど、心苦しいというか…」

 

わたしがそう続けると、彼女はこう言った

 

「そうですね…それはありますね…」

 

窓の外、降りしきる雨粒を見つめながら小さな声でそう言った彼女

 

見捨てない医療という基本理念に従ってもなお、悩みは日々尽きないのだろう

20代という、若い年齢ながらもPSWとして日々現場に葛藤しつつ立つその瞳に、うっすらと涙が浮かんでいた

 

少しの間を置いて

 

「じゃ、わたし、ちょっくら仕事戻ってきます」

 

と、いつものキリッとした笑顔で彼女は去っていった

 

終わりに…。

延命措置・治療に関しては、ご家族やご本人の中で様々なご意見があることを承知の上で、わたしという、その現場を日々目撃している患者の立場の人間が、思ったこと、感じたことを、飾ったりせず、見たまま、そのままを綴らせていただきました。現在延命措置・治療を受けていらっしゃる患者さん、また共にたたかうご家族の皆様の苦労は、わたしには計り知れないものです。患者さんの回復を心からお祈り申し上げます

孤独を受け入れて生きる

以前、カウンセリングで、こんなことを言われた

 

「人は、皆、孤独を抱えて生きているんだよ」

 

人間は産まれる時から死ぬ時まで、自分1人の力で心臓を動かし、呼吸をしようとする

 

出来ないこと、1人では難しいことは、手伝ってもらいながら、それでも最終的には1人で全てやる事になる

 

カウンセリングも、実はそうなのだと、臨床心理士のK先生は言う

 

こんな言葉をいただいたことがある

 

「わたしたち臨床心理士も、主治医の先生、ワーカーも皆、あなたたち患者、クライエントに代わってあげたくても代われない。何かしてあげることも、答えを教えることも出来ない。ただ、出来ることは、一緒に考えること、答えを導き出すお手伝いをすること、提案すること。それでも最終的に決めるのは、あなたたちなのよ」

 

カウンセリングとは、答えを教えて貰うことではない

様々な話を繰り広げる中で、自分なりの答えを自力で導き出すこと

 

ある臨床心理士のかたの言葉に、こんな言葉もある

 

臨床心理士がカウンセリングを行ったクライエントが、先生のおかげで自分は立ち直れました、ありがとうございます、と言った時点で、実はカウンセリングは失敗と言ってもいい。カウンセリングの成功とは、クライエント自らの力で立ち直れた、その瞬間である」

 

凄く印象的だった

 

この臨床心理士のかたの言葉が、物凄く腑に落ちた

 

臨床心理士が答えを教えてくれたら、簡単に物事が済む、と思っているのは大きな間違いであって、仮に臨床心理士が答えを教えたら、その時点でそれは臨床心理士の個人的意見の押し付けになる、ということだし、そもそもそれはクライエント本人の答えではない、とのこと

 

確かに担当しているとはいえ、自分以外の第三者でもある臨床心理士が、簡単に「こうすればいいよ、これが答えだよ」と言ってきたら、わたしは凄く嫌だと思う。何故ならそれは、わたしが自ら出したものではないし、そうなったとすれば、わたしの気持ちや考えを無視した形になるからだ

 

カウンセリングは孤独な闘いだとわたしは思う

わたしたちカウンセリングを受ける側も、カウンセリングを行う臨床心理士も、それぞれが闘っているのだと、K先生も言う

 

よく、人は1人では生きていけない、と言う言葉があるが、その1人の人間に寄り添うのもまた1人の人間であり、自身が決めて側に寄り添うと考えると、人は孤独なのだという言葉の意味がわかるだろうか

 

例えば2人の人間が寄り添い合うということは、寄り添いたいと思う2人の個体の思いが一致した時で、それぞれがこの人に寄り添うと、個々で決めることである

つまり、孤独な人間2人の方向性が同じだったというだけ、と言うと残酷にもきこえるが、そういうことなのだと思う

 

主治医の先生がこんなことも言っていた

 

「人はね、みーんな孤独よ。1人で自力で生きているの。そして何も無くて暇なのよ。だから暇つぶしをする。例えば、ホビー(趣味、道楽)、カルチャー(文化、教養)、といった英語の言葉があるわね。その語源は「暇つぶし」から来ているの」

 

ということで、まずカルチャーの語源を調べてみた

「cultureは「耕す」を意味するラテン語「colere」に由来し、始めは土地を耕す意味で用いられていたが、英語に入り「心を耕すこと」の意味で用いられるようになった。そこから「教養」「文化」も意味するようになった(引用: 語源由来辞典)」

だそうである

心を耕す、なるほど、物凄く興味深いと思った

勝手なイメージだが、何も無いさら地の心を耕すことで、教養を身に付け、文化を生み出す、ということに繋がるのではと思った

 

次にホビーの語源を調べようとしたが、これは難しかった

ひとつ妥当だと思われるサイトがあったので、そこから引用する

「hobbyの語源を調べてみると、おもちゃの「棒馬」を表す hobby horse を省略したもので、このおもちゃのように楽しいものとして、hobbyが生まれたようです。hobbyという言葉は13世紀末「小さな馬」の愛称として使われた Robin に遡るようで、これが「モリス・ダンス(Morrs dance)で使われる馬」となり、さらに16世紀半ばに「子供が乗る小さな馬」そして「棒馬」へと変化したと言われています。(引用: eigo 21)」

ふむ、確かに乗馬は1人で乗るものであり、1人で楽しむもの、つまり暇つぶしでもある。主治医の言ったことの意味が理解できる

 

ちなみにもう少し調べると、recreation の意味は「気晴らし」だが、同義語としてhobby の単語も記されていた。原義は「病気から回復する」だそうで、このサイトには説明として

「どんなに真面目な人でもたまには息抜きが必要です。例えば活発なサラリーマンは、休日に気晴らしでスポーツを楽しみ(to play sports for recreation)、インドアな人は息抜きにゲームをします(to play video games for recreation)。また福利厚生の豊かな企業は社員の為に保養所(recreation facilities)を設立したり、慰安旅行(recreation trip)を企画したりします」

とあった。ますます暇つぶしから来ている単語だと納得せざるを得ない

 

人は皆孤独を抱えて生きる生き物、とは、どういう意味合いなのか、何となくだがわかってきた

 

孤独だから仲間を作ろうとしたり、遊んだり、仕事したりと、前述したような「暇つぶし」が必要になる、そうやって元々本来孤独なのを、誤魔化してというと語弊があるかもだが、紛らわして生きている、ということなのだ

 

英語はわたしは本当に苦手で、昨年の高卒認定試験(高等学校卒業程度認定試験=昔でいう大検)も合格したものの自己採点で55点だったが、このように紐付けすることで、面白い発見もあるのだと思ったと同時に、これも教養(culture)を身に付けるのだと今書きながら思った

 

人は、孤独な生き物である

故に、個々で息抜き、気晴らし(recreation)をして、知りたいなら教養(culture)を身につけ、教養を身につけたら趣味(hobby)も楽しみながら、自身の孤独な時間を暇つぶし(killing time)でやり過ごして生きていくのだ

 

最後に主治医の好きな言葉を、主治医のインタビュー記事から拾ってきたので、それを綴って今回はここまでにしよう

 

「人はね、裸で産まれて、裸で死んでいくのよ」

 

最後までお読みいただきありがとうございます

また次の更新をお楽しみに。。

わたしがされてきた多剤処方〜13歳のわたしは1日50錠処方〜

ここの所、精神科、心療内科にて起こる多剤処方について、考える時間があった

 

わたしは13歳の時、初めて心療内科にかかった

学校で自傷行為を始めて、相談室のスクールカウンセラーが病院を親に紹介したのである

わたしが訪れたのは、都内の小さなクリニックだった

中学1年生の冬、精神科デビューである

 

わたしの話を1時間半、母親は2時間ほど、別々に当時の主治医M先生と話した

そして、早速心理検査を受けることと、投薬治療の開始を告げられた

 

当時どんな薬を出され、心理検査を受けたのかは明確には覚えていない

ただ1日20錠以上は出されていた

心理検査はwiscとバウムテストを受けたのだけは覚えている。後に当時のIQを知ることになるが、M先生は結果を見て直ぐに入院が必要だとわたしたち親子に告げた

中学2年生の5月、わたしは当時都内では有名だった小児精神科の思春期の女の子が入院する病棟に入院した

 

入院時、まずついた病名は「神経衰弱(現在でいうところの抑鬱状態)」である

そして間も無く多剤処方は始まった

朝昼夕寝る前と、それぞれ10錠ほどを1日4回薬が処方された。更に、調子の悪い時の頓服薬も含めると、1日50錠近くの量だった。当時患者の子ども達の間では、薬は多いほど凄いんだ!という訳の分からない思い込みがあり、わたしよりも多い子なんかは寝る前に16錠も飲んでいた(なお、この中には副作用止め、下剤、胃薬、アレルギーの薬などを飲む子もいた為、精神薬以外の薬も全て引括めた実際の量である)

 

4ヶ月後退院したが、多剤処方は終わりではなかった

わたしは学校の登下校中や部活中のことはあまり覚えていない。薬でぼーっとしていた為、記憶が無いのだ。中学2年、3年の文化祭で、吹奏楽部の一員としてステージに出たことも、合唱コンクールでどのパートを歌ったかも、ほぼ覚えていない。薬の副作用で眠りこけているわたしに、教師は容赦なく起きろと言う。しかし、その声さえもほぼわからない。結局気付いたら保健室で横になっていた

 

体重も増えた

 

中学1年の最初の頃までは至って標準より少し軽い、顔もほっそりとした足の長い、所謂健康的なモデル体型ともいえる体型だったが、中学を卒業する頃には平均を10キロ以上も上回る体重になってしまった。恐らく薬の副作用とストレスで過食になっていたのは、もう間違い無い。中3の1学期に測った体重は53キロ、卒業時は57キロだった

 

高校も受験したが、何をしたのか、何を面接で言ったのか、さっぱり覚えていない。薬で意識が無くなり、気が付いたら家で寝かされていた。当然、受けた2校の高校は落ちた

当時飲み始めたのは、ベゲタミンB、PZC、ピレチア、ヒルナミンリボトリールなどである

他にもアーテンアナフラニールトリプタノールコントミンロヒプノールラボナなど、様々な種類の薬が次々と処方された

(注意: ベゲタミンは2016年12月より一般の精神科外来では処方されておらず、市場には出回っておりません。大変強い薬でオーバードーズによる死者、重度の後遺症を抱える者も出ている為、かねてから危険性を示唆されていました)

 

ここからは、残っているお薬手帳の写真と共に、どのような薬をどのくらい処方されていたか、診断名も含めて振り返ってみる

まずはこちら

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2008年11月25日に処方された薬である。当時22歳。就労継続支援B型事業所からグループホームに入った頃だ。計算すると1日23錠飲んでいる。これより少し前の18歳の時、自分は統合失調症と随分前から既に診断されていることを知った。見ての通り、ベゲタミンAも処方されている

 

次は翌年の2009年のデータである

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2月24日、11月10日、共にまだベゲタミンAが処方されているが、2月のほうではエビリファイ(アリピプラゾール)、11月のほうではエビリファイは無く、リスパダールが半減、ここまで飲んでるのに不眠時の頓服、ラボナが出ている。

 

そして翌年を見てみよう

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ここでちょっとした変化が起きている

5月11日にあるベゲタミンAが、11月16日に、実に数年ぶりにベゲタミンBに変わったのである

しかし、やはり強い薬を出されていることに変わりはない。ロヒプノールレンドルミンが出ていると同時に、副作用止めのアキネトンが1日4錠から5錠に増えたのは、セロクエル(クエチアピン)、エビリファイリーマス(炭酸リチウム)、リスパダールなどの副作用で「アカシジア」という症状や「手の震え」が出ていることによる他は無い

 

ちょっと飛んで2012年5月8日

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ここで遂にベゲタミンBも無くなり、代わりにコントミンが処方されるようになった

そして不眠時の薬としてマイスリーが処方されている

 

さらに飛んで2014年

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ここで実は主治医と病院が変わっている

大きな小児精神科からクリニックに転院した。そして、薬が激減した

また、抗うつ薬として、パキシルが処方されるようになった

 

更に大きな出来事がこの年起きていた

 

広汎性発達障害であることがわかったのだ

当時クリニックの主治医がグループホームの顧問医だったのだが、わたしの様子を見てお薬手帳を見せろと言った。わたしがお薬手帳を見せたところ、顧問医のK先生は驚いた表情を見せた

「君、これは統合失調症の患者に出す薬ではないよ。君は発達障害ではないのか?」

「今日病院なら、主治医にきいてみなさい。間違いなく君は発達障害だと思う」

それまでずっと統合失調症だと思い込み、施設の職員も親もわたし自身もそうきかされてたので、驚いたが、確かに今言われてみれば、自閉スペクトラム症者の易刺激性に対する薬としても使われるエビリファイ、衝動を鎮静させる為のリスパダールは、現在小児の発達障害患者にも処方することで有名である

 

早速通院したわたしは、当時の主治医、T先生にきいた

 

「先生、K先生がね、あなたは発達障害だって言うんだよ。確かに統合失調症の他の人と症状違うし、違和感はずっとあったんだけど、わたしは発達障害なの?」

 

T先生はひと呼吸置いて、こう言った

 

「そうだよ、君は間違いなく発達障害だ」

 

わたし「どうして発達障害なのに統合失調症って言われてたの?」

T先生「それは昔M先生が入院の為に検査をしたろう?そしてお薬を出す時に、この病名なら出せる薬もあったんだ。それで書いたときいている」

わたし「先生はずっとわたしが発達障害って知ってたの?」

T先生「うん。18歳の君が入院して誰が担当するか決める時、カルテ見てすぐわかったよ。だからぼくが申し出たんだ、この子はぼくが引き受けますってね」

 

T先生は知っていたのだ。全て。

M先生は当時中学生のわたしに「高機能自閉症の疑い」という言葉を発していたことが判明した

当時の全IQ112だが凸凹の激しいwiscの結果、生育歴による幼い頃からの拘りから、そう判断したという。M先生は、実は1970年代後半から80年代、90年代にかけて、小児自閉症の症状の改善について研究されていた、自閉症に関してはスペシャリスト、第一人者とも言える人だったと最近調べて知った。そして、もう既に亡くなられていることも…。

 

その後、わたしはK先生のクリニックに転院した

 

次の3枚は、そのクリニックで2016年にストラテラを処方された時のお薬手帳である

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多動多弁、思考の回転で苦しんだわたしに、発達障害の薬として、ストラテラが25mgから処方された。同時にストラテラと相性の悪いパキシルが断薬、当時新薬として注目されてたイフェクサーを飲み始めた。これが賦活症候群を引き起こし、わたしは荒れに荒れた

 

遂にカウンセリングを必要と判断し、わたしは2016年5月26日を最後にK先生のクリニックを自ら去った

 

転院先の主治医、N先生はキーキーと荒れるわたしを診て

「この子は今後どうなってしまうのだろう、改善出来るのだろうか」

と心底心配した、と後に話した

「あなたはまるで、野生の自由な世界から、突然動物園に連れてこられて檻に閉じ込められたお猿さんのようだった」

という

ある時今までのお薬手帳を見せたところ、N先生は

「なんてこと!こんなに出されてたの!?そりゃあ賦活症候群になってもおかしくないわ。何故こんなに?先生はなんと仰って出したの!」

と声を少し荒げるように言ったので、わたしは

「何も説明は無いです。先生につらい、苦しい、助けてって言ったら、これ飲んでね、と言われて出されたので飲みました。治ると思ったからずっと飲み続けました」

と言うと、N先生は頭を抱えるようにしてため息をついた

そしてこう言った

 

精神科医に限らずだけどね、医師って説明してわかる人にはきちんと説明する義務があるの。あなたは説明すればちゃんと理解できる人間なのに、当時の医師が説明義務を怠ったのは、同業者として、とても恥ずかしいわ…」

「あなたは今まで物凄い多剤処方をされてきた。簡単に抜けられないけれど、少しずつ減らして行きましょう。あなたに不要な薬は全て断ち切ります。あなたはいずれ、1日エビリファイ1mgでやっていける人間になれる…いや、する。わたしがそうするわ」

 

そして、2016年秋、様々な心理検査の結果、わたしの診断されていた統合失調症は「誤診と見ても致し方ない」とされ、正式な診断名は

「広汎性発達障害」「解離転換性障害(解離性障害の一種で、わたしの場合解離障壁がほぼ存在しない為、解離性同一性障害(多重人格)ではない)」

となった。なお、広汎性発達障害に関して言えば「ASD(自閉スペクトラム症)は黒寄りのグレーで積極奇異型、ADHDは薄いグレー」となった

 

現在の処方は、体調不良により若干増えたが、以下のお薬手帳の通りである

(6月15日の処方だが、現在も引き続きこの処方である)

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この記事では多剤処方に至った経緯とその後を綴った

 

ひとつだけ、読者のかたに誤解して欲しくないことがある

 

薬は決して、毒ではない。正しい処方と正しい量を服用すれば、改善するものは改善する

子どもだから、薬飲ませるなんて!薬なんて毒だ!という親御さんの声をちらほらきくが、勝手に辞めない、減らさない、ちょっとおかしいと思ったら医師、薬剤師に躊躇うことなく相談すること

勝手に減らせば、患者は離脱症状に苦しむ。そして再開する時も副作用が強く出る場合もあるので、勝手に弄らないことは守ってほしい

 

医師もピンキリである。それぞれに専門分野もある

おかしい、なんか違うと思ったら、セカンドオピニオン、サードオピニオンも利用していいと思う

 

知識があるだけでなく、理解があってきちんと向き合ってくださる医師に出会えたからこそ、わたしは今のところここまで来れている

 

離脱症状など、薬で苦しんだ経緯に関しては、今後またここに書いていこうと思う

「それでいいじゃん!」〜ありがとう、ぴーさん〜

今入院している病院で、過去4回にわたり、わたしの担当を受け持ってくださったPSW(精神保健福祉士)のTさん、通称ぴーさんがこの度異動することになった、と、今朝きかされた

 

何となくな直感で、今回がこの人に担当していただくのは、最後になるだろう、と思っていただけに、そこまで衝撃は走ることはなかった

 

そんな今日の夕方、わたしはぴーさんと1時間ほど話し込んだ

 

「ここ、座ってもいいです?」

 

いつもの柔らかな笑顔でそう言ってきたぴーさん

 

色々なことを話した

 

わたしがまずはPSWを取って働きたいと思ったきっかけは、彼女だと言っても過言ではない

彼女の人に対する直向きな姿勢、真っ直ぐな目線、そして穏やかな物腰

こんな人間が同じ星に存在するんだと思ったものである

 

最初の入院のときのわたしは、酷いものだった。ビービー泣いて我儘言って、迷惑や心配もかけて、散々失礼な事もしたなぁと思う

 

そんな中、いつも表情ひとつ変えず、笑顔で接してくださったぴーさん

 

初めてPSWになりたいんだと、決意を固めて話した時の、一瞬何か堪えるようにひと呼吸置いてから

「そう言ってくれて凄く嬉しい。こうやって仕事して関わっていく中で、わたしと同じ職の道を進みたいと言ってくれたこと、本当に嬉しいと思う」

と言って、優しく照れ笑いしていたあの表情は忘れられない

 

決意に至るまでの出来事、決意してからどのように考え、感じ、想いを馳せてきたか、という話もした

 

そんな中、ぴーさんに

「わたし、最初とは変わったでしょ?最初酷かったじゃないですか」

と笑いながら言ったら、ふと何か想いを巡らせるような表情になり、こんなことを言ってくれた

 

「凄く柔らかな物腰になったよね、柔軟性が出てきたのかな」

 

確かに1年半くらい前に初めて入院してぴーさんに会った時、本当に拘りが強く、こうせねばならない思考が物凄く強かった

 

それが、自分の中で、有言実行と言うのか、色々なスタッフのかたに目標を話すようになって、その中でこれだけ話すということは、本当に自分はこうなりたいんだな、という明確な自覚にも繋がった

 

2人で同じことを言った言葉の中に、こんな言葉があった

 

「それでいいじゃん!」

 

どんなにのめり込むのも自分、暴走するのも自分、それを後悔して泣くのも自分だし、自分という人間は世界に1人しかいない、その世界に1人の自分しか、自分を1番大切に出来る人間はいない、という話もした

 

相手の変化に一喜一憂するのも勿論自分

だけど、それを果たして良いのか悪いのか、と思い悩むよりも、それでもいいじゃん!それでいいじゃん!と思うこと、思えること。そっちの方に着目するほうが自分を認められるよね、と話した

 

他にも印象的な言葉があった

 

「休む、相談する、その勇気が大切。そしてその時に罪悪感を感じない勇気」

 

疲れたら休んで良いんだと思えること、それが大切だと、力を込めて仰っていた

 

時折何かを堪えるような表情も垣間見えたぴーさんだったけど、最後はやっぱり笑顔の似合う、自他共に認める晴れ女なんだというぴーさんに戻った

沢山話して、真面目な話から楽しい話まで、本当に密な1時間ちょっとの時間だった

ここまで彼女と深く話したことは、あまり無かったかもしれない

 

今日はとても風が強かったけど、空は雲ひとつない快晴だった

晴れ女のぴーさんのラスト勤務、それを飾ったのかもしれない

暑さの中にぴーさんの笑顔のような爽やかな涼しい風が吹いていた

 

人生のちょびっとだけ先輩のぴーさんに出会えたこと、話せたこと、これを今後の人生にいかせれば、自分としては本望である

 

そんなぴーさんの本日最後の名言を綴って、今夜はここまでにしようと思う

 

 

「自分を見失うってあるけどさ、此処に生きている限り、自分を見失うことなんて無い。だって、自分はほら、生きている限り此処に存在しているもん。見失うことなんて、本来ならあり得ないんだよ」

孤立する高機能高IQの人たち

こんなことを書くと、様々な思いを馳せ、中にはフラッシュバックなどでつらい思いもする人が出てくるのを承知の上で書く

 

今回のテーマは孤立する高IQの人間の孤立について

 

 

世の中には様々な能力を持った人間が存在する

絵が得意で大きな会場で展覧会を開く人

ピアノが得意でコンクールで賞を取る人

歌を歌うのが上手くて様々なステージに立つ人…

 

上記のような人間は、人に尊敬され、慕われ、羨望の眼差しで見られたりする

子どもたちに憧れを抱かせることもある

若ければ天才と称され、将来を期待される

 

 

わたし自身、小学校に上がるまでは、所謂天才と呼ばれていた

2歳半で1〜10の数字を理解し、4歳で平仮名片仮名をマスター、九九の歌で掛け算の九九は全て覚え、ソルフェージュのおかげか5歳でト音記号ヘ音記号の読み方をマスター、バイオリンを習えば何時間も基礎練習を自ら率先して行い、絶対音感を持ちクラシックを聴いてはオペラを真似して完璧な音程で歌う…

 

そんな子どもであれば、親も期待するものだ

 

結果として小学校に上がって人間関係で苦労し、中学校で精神科受診となって期待していた親を絶望のどん底に突き落とすわけだが…。

 

わたしは中学2年生の時に、子ども用の知能検査、wisc-4を受け、既に飲み始めていた薬でボーッとしながらの検査でIQ110を軽く超える数値を出した。後に薬漬けとなり、18歳で受けたwais-3では朦朧とした意識の中での検査の為全IQ77という知的境界域の数値にまで落ち、更にその後パワハラPTSDの症状を抱えての検査で全IQ95、一昨年5年ぶりに賦活状態を抱え受けた検査では全IQ100。数字だけ見れば一見平均的な数値である

 

これなら普通だし、そんなに困らないのでは…と思われがちだが、最近、全IQ120を優に超える、所謂高IQの人と知り合って、己の困難に気付いた

 

その高IQの友人は、コミュニケーションに難があり、そして周りの同年代の人との価値観の違いに戸惑い続ける人生を送ってきたという

周りの同級生が子どもっぽく幼く見え、話が通じない、自分の考えの意図を説明しても全く理解されない

さらに成績は平均より上だが、語彙力に長けている為、学校の先生を論破してしまうので先生から厄介者扱いされる

大人になってみれば、相変わらず周りの同年代の人が子どもに見えるし、仕事でも相手を論破して嫌われ、資格があってそこそこの大学を出ていても、コミュニケーションが取れず意思の疎通がはかれないので「期待外れ」と言われパワハラ、解雇、職を転々とする…

 

この話はなにもその友人だけに限ることではない。他にもこれに類似した人生を送ってきた人は周りに何人もいるが、その特性を兼ね揃えた殆どが高IQ、もしくはギフテッドなどの人だった

 

そして、わたしも学歴、資格、成績は無いものの、人間関係とコミュニケーション面では完全にこれとマッチしている。思い当たる節は色々あるが、まずわたしの場合、知能検査を受ける際の病状と環境がいつも劣悪だったのと、環境と病状さえ安定していれば数値はこれよりはるかに跳ね上がるだろう、と検査を担当した臨床心理士の見解の説明を受けている

もしかしたらだが、自分もその高IQの友人と同じ類に入るのかもしれない、と思った時、全ての辻褄が合った

 

高IQ、ギフテッドの人間が何故、知能指数が高いはずなのに孤立していくのか

 

これはもう一言で言うと「知能指数が高いが為に周りと合わせるのが極端に苦手」だということに他ならないのでは、と思う

 

知能指数が高ければ必然的に語彙力もあるし、物事を察したり状況を把握する力も持ち合わせているだろう。だが仮にこれを子どもに当てはめるとどうだろうか

 

大人びた雰囲気、子どもとは思えない語彙力、大人を難なく論破…

 

はっきり言って普通の同年代の子どもからしたら「なんだこいつ」と思われても仕方ないのだ

 

それが次第にいじめにあうようになったり、変わった子、変な子と見られるようになったり、中には怖がられてしまうことになるのだ

 

そうなってしまった高IQの子どもは1人で過ごすことが多くなる

図書館で本を読み続けたり、同級生を避けて1人で勉学のみに集中する子どももいる

そうなると成績は上がるが他者とコミュニケーションをとる機会が減ってしまう

 

そう、既にこの時点で孤立は始まっているのだ

 

だが本人はそれが居心地が良いと思いこんでいるため、大学などを出て資格を取り、いざ就活!就職!となった時、面接では愛想良く振る舞い、人事の期待を買い、無事採用され仕事を始めると、今度は他者とのコミュニケーションを取ってこなかったが為に、周りの同僚と意思疎通がはかれない、上司を子どもの頃と同じく論破、そしてパワハラが始まったり、解雇に追い込まれたりして自己肯定感はだだ下がり

鬱などを発症して精神科を受診、検査をして、そこで初めて己の困難の原因に気付く人も多いが、時すでに遅し。鬱は厄介なことに、なかなか治らず、一度落ちた自己肯定感は簡単には戻ってこない

年単位での治療を続けて、気付けば治療費、カウンセリング料金がかさばって貯金も底をつき、失業手当、傷病手当、障害基礎年金などだけではやっていけなくなり、生活保護になってしまう高IQ当事者もいる

 

 

「IQ高いの羨ましい」

「自慢してるの?」

「どうせ困ってることなんて無いでしょ?頭良いんだし」

 

高IQの人間が浴びせられる言葉は、実際本人たちにとっては苦痛で、厳しい世間の偏見と、高IQならではの見える世界の違い、価値観の差、高IQだからこそ抱えている独特の困難は、周りの人間からは計り知れないものなのだ

 

そして、孤立する高IQの人間は、高IQ同士だと案外コミュニケーションが取れたり、協調性をはかれることができる場合もある

 

それを物語るのが、メンサ会員だと思う

 

メンサの人間は、殆どと言って良いほどメディアに現れない

テレビっ子だったわたしも、知っているのは脳科学者の中野信子先生くらいで、あとは全くきいたことが無い

 

これはあくまで憶測に過ぎないのだが、メンサ会員など高IQ同士ではつるんだりある程度のコミュニケーションはとっていて、表に出れば自分たちとは違う価値観の人間で溢れている為、メンサ会員含む高IQ、ギフテッドなどであることすら隠してひっそりと息を潜めているのでは、と思う

 

わたしにはギフテッドの知人もいるが、その知人も職場で孤立し、鬱を発症してしまった。発達障害も持っているので、今は資格を持っていながら障害者雇用で働き、低い賃金しか与えられてないという

 

 

高IQだからこその独特の困難は本人たちにしかわからない

それと同時に高IQの人は平均もしくは平均以下の知能指数の人たちの世界も知らずに生きてきているのだ

 

高IQ当事者と平均もしくはそれ以下の人間がお互い歩み寄るには、まだまだお互いの理解も不十分な上に、それぞれの世界の完全なる再現も体感することはまず不可能なことから、合わせることも困難な為、それぞれがそれぞれの世界でどう上手く生き延びていくかを考える他は、現時点では無いのではと思う

わたしの解離性障害④〜色々な顔を持つ〜

わたし自身が抱えている解離性障害について、4回目の投稿

 

今回は、様々な場面でどのような自分がいるのか?を書いていこうと思う

 

実は今、入院中であるが、ふと看護師のSさんの歩き方を見て、ハッとした

年齢こそ恐らく彼女のほうが上なのだが、まず歩き方、仕事に対する意識の向け方、表情、言葉遣いなんかが、自分が某就労継続支援B型作業所で利用者でありながら主任をつとめていた時とリンクしたのだ

 

Sさんはとても真面目でクールな女性。何かあっても動じる素ぶりは当然ながら無いし、相談すれば正論を躊躇する事なくズバッと言う。そして決め台詞は「決めるのはあなただよ」と言う

 

自分はどうだったかというと、作業所でトラブルがあっても関係がない場合はスルー、相談事、悩み事にはズバッとどがつく正論を躊躇なく言うが、アフターフォローはしっかりする。ちなみに決め台詞は「〇〇さんのことだからね、最終的には〇〇さんが決めるんだよ」

 

思わず笑ってしまうほど、あまりにもリンクし過ぎである

 

ただし、これは当時の「仕事をしている主任としての立場をわきまえた自分」の態度である

 

これが今患者である自分はどうなっているか…。

甘え口調で、幼い子どもの様な話し口、常に緊張していてちょっとシャイな感じ、というとわかるだろうか、まるで小中学生のような感じである

 

カウンセリングを受ける時の心理士さんの前では、突っかかるような、マシンガントークを繰り広げ、心理士さんにストップかけられて、一度深呼吸する

 

役所などの電話応対だとどうなるか。まずは

「お忙しいところ失礼致します、いつもお世話になっております〇〇と申します」

で始まり

「〇〇さんは今いらっしゃいますでしょうか?」

となって、いなかった場合

「そうでしたか、失礼致しました。折り返しご連絡いただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

「そうでしたか、また後ほど掛け直したいのですが、何時頃お戻りになられますか?」

などとなり、最後は

「承知致しました。お忙しいところありがとうございました。失礼致します」

と言ってこちらから電話をかけたので、相手が電話を切ってからこちらも電話を切るようにする

 

まあ、電話応対では有りがちな至って普通のやり取りを当たり前のようにするのだが、このどが付くほどの丁寧なやり取りに、役所の生活援護課ではわたしは良い意味で丁寧な人だとちょっとした評判になっているそうだ(生活援護課のPSW談)

何故ここまで丁寧なやり取りが出来る人が、上手く働くことが出来ないのか?という話も出ているようだ。またケースワーカーからの信関係もしっかり築けているので、トラブルにならない

 

ここまで読んでいてお気付きだろうか、あまりにも差のあるわたしのコミュニケーション方法が

 

これは実は自分の中では解離の一種だと思っている

また、これに関して言うと、普通の人でも起こりうる「健常な解離」に非常に近い

 

しかし、問題はこのように気を張っていたり、リラックスしたりが忙しいと、疲れてぐったりしてしまうのだ。そして日常生活に困難が生じ、支援が必要になる

最近メディアで取り上げられているピアニスト、野田あすかさんが、まさにこのパターンである。彼女はテレビなどで見ていると、少なくとも3つ4つは人格というか、顔を持っているとわたしは素人ながら判断している

「ピアニストとしての野田あすかさん」

「親御さんの前で娘として過ごす野田あすかさん」

「生徒である子どもたちの前で、ピアノ教室の先生である、野田あすか先生」

「近所を歩く時に1人楽しそうにはしゃぐ幼い子どものような野田あすかさん」

テレビで確認しただけで4パターンもある

 

(解説すると、野田あすかさんの障害は発達障害解離性障害だが、野田あすかさんの場合、解離性障害発達障害特有の特性によって周囲とのコミュニケーションが取れずいじめに遭い、それによって発症した「後天性の二次障害」であり、彼女の幼い子どものようなコミュニケーションの取り方は、所謂発達障害というよりも、二次障害である解離性障害による幼児退行と思われる。通常発達障害のみ罹患している患者は、野田あすかさんのようなコミュニケーションの取り方にはならず、ほぼ健常の大人と何ら変わらない喋り口調である

メディアやマスコミが発達障害をメインに取り上げており、二次障害に着目出来てない現状の為、発達障害者もあのような喋り口調や幼さであると一般の方々には誤解されるが、現実は全く異なる。しかし、その誤解の為、発達障害者であることを告げると子ども扱いされて、悲しい思いをしている発達障害者は非常に多い)

 

そして、1番解離性障害らしい?と言うと語弊もあるだろうが、解離性障害特有の症状が「ピアノ教師の野田あすか先生」から「家で娘として過ごす野田あすかさん」に戻った時の疲弊のしかたである

 

通常、解離性障害の人たちは、離人や解離、人格分離を起こした後はぐったりとするほど心身ともに疲弊する。何故かというと、他人格が自分の心身を酷使して過ごしたり、しっかりした人間の顔を持とうと気を張り続けていたりと、「自分の心身を、健常な人の何倍ものエネルギーを使って、全身全霊かけてコントロールしているから」である。解離している時間が長ければ長いほど、この疲弊は大きくなると言っても過言ではない

 

わたし自身、幾つの「顔」を持っているかと問われると、答えるのに時間を要するというか、一概に幾つ!としたはっきりした数字が出せないのが現状だ。寧ろ解離性同一性障害までいくと、患者本人が自覚無かったり、把握していない人格もいたりする。そうなると何人人格いるの?とか幾つ顔を持ってるの?ときかれても、はっきりした答えは答えかねるところがあるのだ

そもそも健常な人間にもある解離の部分まで含めたら、何人とか言っていられないくらいだろう

 

わたしは今週日曜にデザインフェスタというイベントに出るが、そこでも普段とは全く違う顔を見せるのは、ここまで来るともうわかりきったことであり、自分にとっては気力を保つ為の術と言っても過言ではないほどである

 

解離性障害と上手く付き合って生きていくのには、このように顔を幾つも持ちつつ、適切な場面で適切な顔を見せ、コントロールしていく必要があるのだと、最近日々強く感じている今日この頃である