読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ももたんの発達障害ライフ

発達障害当事者であるももたんの声をお届けします

わたしの主治医

ADHD パニック障害 発達障害 広汎性発達障害 自閉症スペクトラム アスペルガー症候群 精神科医
わたしの現在の主治医は、日本でも3本の指に入るほど、有名な精神科医です。
東京・新宿のビルにクリニックを開業して11年ほどになります。

この主治医との出会いは7年前に遡ります。

わたしは当時グループホームに住んでいました。当時のわたしは強がりで意地っ張り、そしてとても捻くれていて自分に正直ではありませんでした。そんな時に出会ったのが、現在の主治医でした。主治医は当時、グループホームの顧問医をしていた為、月に一度顧問医面談があり、わたしはよくしかめっ面をしている主治医を前に、面談を受けました。

しかし、不思議なのです。初めて面談を受けて自分のことを話した時、わたしはそんなつもりは無いのに涙がぽろぽろと頬を伝ったのです。

主治医の顔色が変わりました。

しかめっ面が、真剣な顔になったのです。

溢れて止まらない涙を拭いながら、わたしは自分のことを話しました。
それから毎月毎月、面談の度にわたしは涙が止まらなくなるという不思議な現象に戸惑う日が続き、25歳になる頃のある日、主治医はいつものように涙を流しながら面談に応じるわたしに

お薬手帳を見せてほしい」

と言いました。
わたしは、はい、と何の迷いも無くお薬手帳をバッグから取り出し、主治医に見せました。

当時わたしは作業所の職員から、あなたは統合失調症だと伝えられていて、18歳の時初めて健康診断を受ける際、問診票に病名を何と書けば良いかきくと統合失調症と書け、あなたは統合失調症だ、と言ったのも施設長始め職員でした。勿論わたしもそうだと信じ込んでいましたし、現在の主治医であるこの先生にも病名を初めてきかれた時、統合失調症ですと答えていました。

しかし、この後、思いも寄らない事実が伝えられました。

お薬手帳をひと目見た主治医は、目を見開いて驚いた顔をしたかと思うと、わたしに真剣な目で言いました。

「これは統合失調症の人に出す薬ではない。君は発達障害ではないのか」

わたしは訳がわかりませんでした。
確かに同じグループホーム発達障害の方もいましたし、それなりに知識もありました。
けど、わたしがその発達障害???
戸惑うわたしに主治医は更に言いました。

「T先生(当時の主治医)にきいてみなさい。なるべく早めにね」

わたしは訳がわからぬまま、はい、と答え、その日は診察もあったので、病院へ向かいました。

診察室に入るや否や、わたしはT先生にこうききました。

「先生、顧問医の先生がね、わたしが統合失調症じゃなくて発達障害だって言うんだけど、それって本当???」

するとT先生は顔色ひとつ変えず、

「そうだよ、君は発達障害だよ」

と答えたのです。

わたし「発達障害統合失調症じゃないの?」
T先生「そうだよ。君はアスペルガー症候群だよ」
わたし「アスペルガー症候群…???」

アスペルガー症候群、空気読めないと言われてるあのアスペルガー症候群…。

その後、詳しく自分の障害を知る為に、WAISⅢという知能テストを受けました。
結果、動作性より僅かに言語生優位のアスペルガー症候群であることが確定されました。
IQは95。ほぼ健常者の平均値でした。

謎が解けました。

わたしの通っていた作業所には統合失調症の利用者が多くを占めていましたが、どうもその人たちの症状と自分の症状に違和感を感じていたのです。陽性症状や陰性症状と言われるものは当時一切発症しておらず、他の統合失調症の利用者と自分の症状があまりにも違うことに違和感を感じざるを得ませんでした。
そんな中での発達障害告知。

わたしは発達障害について苦手だった本を病院の待合室で何冊も読み漁りました。すると、アスペルガー症候群について書かれた本に、わたしそっくりの症状が数多く掲載されていました。
なるほど、それでわたしはアスペルガー症候群なんだ!と長い間抱えていた蟠りが解けた感覚が全身を貫きました。

その後、当時飲んでいた薬は発達障害の二次障害である鬱やパニック障害、解離症状、睡眠障害を改善する薬であったことが判明しました。

さらに2年後、グループホームを退所し、同時に病院を現在通っているクリニックにうつし、治療を受けることになりました。

主治医はわたしのことを否定しません。
わたしの意見も一度肯定し、その上ででもこれはこうしたほうが良いだろう、とか、これを試してみよう、と積極的に意見を述べてくださるので、わたしもなるほどと理解出来ます。

将来、支援者になりたいという夢も話しました。その時、主治医はこんなことを言いました。

「それは良いと思う。君の体験が生かされるだろう。だが、まずは自分のケアを優先しよう。それから体力、忍耐力、精神力をつけよう。この仕事は大変だ。これらが無ければ利用者と共倒れになってしまう。まずは自分のケアが一番。その為に今は治療に専念しよう。君の今やることはまず治療を優先することだよ」

ゆっくりと、わかるまで何度も繰り返し言いました。

わたしはその通りだと思い、自分の治療に専念することにしました。

しかし、思うようにいかないのが人生。

解離性症状、場面緘黙と次々新しく症状が発症、鬱やパニックも酷くなり、折角就職活動までしたのに結局作業所すら行けなくなってしまいました。

そんな時、主治医は言いました。

「そんな思い通りにはなかなかいかないよ。だけど、治療を続けること。これに意味がある。治療をしなければどんな症状も寛解することは無い。自分のことを受け入れてケアをしてあげなさい。それが症状改善に向けて一番近道になる。今は休むんだ。休むことが必要だ」

と。

わたしの統合失調症は当時の主治医にきくと、18歳の入院時初めてわたしと会った時にはもう既に寛解していたそうです。つまり、12年以上前に寛解していたにもかかわらず、作業所の職員の勝手な判断から統合失調症と告げられ、それを約7年間信じ込んでいたのです。

当時の主治医はわたしが統合失調症と診断された経緯について、このように述べています。

「当時の医学で発達障害、所謂アスペルガー症候群という言葉はメジャーではなかった。しかし、診断を下し、薬を処方する以上、病名をつけなければならない。当時(13歳)幻覚や幻聴といった統合失調症の典型的な症状は確かにあったが、それが統合失調症によるものなのか確認することは、当時の主治医が亡くなっていてデータが無い以上、断定することは難しい。敢えて言うなら統合失調症患者に処方する薬を出すには統合失調症と診断するしか無かったのかもしれない。とにかくわたしと初めて会った時、君に統合失調症の症状は一切見られなかった」

また現在の主治医はこう言います。

「わたしが診た時も既に統合失調症の症状は一切無かった。何故統合失調症と診断されていたのかはわからないが、それに準ずる症状を発症していたのかも知れない。そこは当時のカルテも無いので何とも言えないのが事実」

そして、この間ストラテラ(主にADHD(注意欠陥・多動性障害)の患者にコンサータと並んで処方される衝動を抑える薬)を処方した際にはこのような事を主治医は言いました。

「多くのアスペルガー症候群の患者はADHDを併発していることが多い。アメリカでは随分前からメジャーになっている話。その患者にはストラテラ及びコンサータ、そして鬱症状にはイフェクサーSR(抗鬱剤、日本ではここ最近認可された新薬とされている)を用いるのがアメリカでは一般的。日本の専門書にはこのような例はまだそこまで書かれていない。アメリカの専門書には当たり前のようにどこにでも書いてある。君のADHDは診断基準は満たさないが、間違いなく注意欠陥(ADD、不注意優勢)の症状が出ている。その為に過集中や忘れ物が多い、片付けが苦手といった日常の生活面での困難が生まれている」

確かに昔から忘れ物は多く、片付けも全く出来ません。過集中して疲れてしまったり、横断歩道が赤なのに大通りを渡ろうとしてしまい、車に轢かれそうになったことも3回あります。

このようなことから現在の主治医はストラテラを処方し、徐々に量を増やして安定させるという手段を選んだのです。

そして、以前の主治医には6〜7年前からカウンセリングが必要だと言われてましたが、当時の作業所の施設長がカウンセリングに断固反対し、受けられなかった経緯があり、カウンセリングを受けられる病院を探していると主治医に伝えたところ、転院を勧められました。

わたしは最初は抵抗がありましたが、主治医は

「ここでセファリを受けることは可能だし、ダメだったらいつでも戻って来ればいい。わたしはその点は何も拘ったりはしない。今度紹介状を書こう」

と転院の手続きには積極的且つ慎重に行うことを伝えてくれました。
わたしは安心して主治医に任せることにしました。カウンセリングを受けられる病院が発達障害専門の病院であることから、主治医は転院を勧めたそうです。

今度、その病院に転院する為に手続きをします。

主治医はいつでもわたしの人権や意見を尊重し、最初から否定は絶対にせず、怒鳴ることも叱ることも責めることも無く、いつでも適切に処置を指示してきました。
その主治医から一旦離れることは不安でもありますが、今までの経緯から新しい主治医に変わるなら今だと背中を押してくれました。

将来の結婚、子育てを目標にしていることを伝えた際は、生理を止めてしまう作用のあるドグマチールという薬をすぐに中止し、妊娠可能な身体作りにも積極的な態度で取り組んでくれました。

このような経緯をみると、わたしに関わってきた現在の主治医とその前の主治医が如何に患者を思いやり、人権や意見を尊重してくれたかがよくわかります。

主治医の誠意を目の当たりにして、それに応えて積極的に治療に取り組む気持ちも強くなりました。本当に感謝しかありません。

どんなに泣きじゃくっても診察の最後には手を握り「大丈夫だよ」と言ってくださった前主治医、予約以外の外来にもかかわらず丁寧に対応してくださる現在の主治医。素晴らしい医師に支えられ、わたしはここまで来れました。

これから転院しても一層治療に専念し、自分と向き合う姿勢を忘れないようにせねばと本当に強く強く誓いました。

長くなりましたが、わたしは、頑張ります。

生きる為に。生きて前に進む為に。。。
広告を非表示にする