ももたんの発達障害ライフ

発達障害当事者であるももたんの声をお届けします

自分の心の声がききたい

わたしは6月から転院することになりました。
経緯は前回のブログで書きましたが、カウンセリングを受けるには転院しかないこと、カウンセリングが必要だということです。

わたしは幼い頃から主に母親から暴力的虐待を受けていました。殴る、蹴る、突き飛ばす、床に叩きつける、風呂に入るのを嫌がれば髪の毛を鷲掴みにして風呂場まで引きずる、気に入らないと玄関の外に締め出すなど。
主に父親の見ていないところか、父親は見ていても知らぬふりをしていることが殆ど。祖母や叔母の前でもお構い無し。しかしそれを見ている祖母や叔母も見て見ぬ振り。祖父はアルコールに溺れて酔っ払い…。

大人になってからわたしはそのことを思い出したり、叔母に話を色々ききました。

母は高校生くらいの頃、祖父はアルコールを求めて飲み屋をハシゴし、酔っ払って徘徊しているところを警察に保護され、警察から電話が来た時、祖母には乳児だった叔父がいた為外出出来ず、夜中に高校生くらいの母や叔母が酔った祖父を警察に迎えに行ったりすることはザラだったそうで、祖母は主に放任主義。母は子どもの頃祖母や祖父に叩かれたりしたこともあったようです。外に放り出されたという話もちらっとききました。

母は典型的なアダルト・チルドレンだったのです。

わたしが小学校5年生の時、末っ子を妊娠中の母は、パニック発作を起こし、夜中にわたしの呼んだ救急車で運ばれましたが、すぐに戻ってきました。異常無かった、と言いながら。それから末っ子が産まれてからも、母はよくパニック発作を起こしては救急車で運ばれました。今でも月に一度通院し心電図を撮っていますが、異常は無し。当然です。ただのパニック発作ですから。母は自分がパニック障害だと認めたくないのだと思います。そして父は恐らく未診断ですがアスペルガーADHDパニック障害だと思います。思い当たる症状があり過ぎます。母はそれによるカサンドラ症候群であることに気付いていません。父は自分に発達障害があることは認めているものの、今更診断を受ける気は無いとわたしに断言しました。

わたしはそんな父と母の元、育っていきました。

きょうだいが多く、わたしは1番上。末っ子は障害児とわかり、支援級を末っ子自らが選び、その支援に母が付き添う日々。

わたしは愛されることを知らず、褒められること、頭を撫でられることも抱きしめられることも知らずに育ちました。

4歳の頃に幼稚園に入って早々いじめにあったわたしは、先生に訴えても聞き入れられなかったどころか、わたしを叱ったことをきっかけに、

「人間なんてみんな殺してわたしも死ぬ。大人なんて絶対に信じない」

と決意し、街を歩く時も大人が自分を見るとわたしは睨みつける子どもでした。写真を見るとわかりますが、2歳で弟が産まれた頃のわたしの顔に笑顔はありません。長男である弟を両親は本当に可愛がりました。その頃から行われていた虐待。それにわたしは小児鬱でも患っていたのだと推測されます。

小学校でも中学校でもいじめられ、中学生の頃は精神科に入院していました。

幼い頃の話は、幾らしてもきりがないほどあるのですが、写真を見て、この頃のわたしは一体何を想い、何を考えていたのだろう?と、最近よく考えるようになりました。笑顔の無い写真が、成長するにつれて増えていく。その心は何を想い感じて生きているのだろう、と。

リストカットもしました。オーバードーズもしました。その時は母親に顔面を拳で思い切り殴られ、ソファに叩きつけられ、放置されました。

そんなこともありながら、わたしはそれでも生きる道を選び、今、生活保護を受けながら狭い賃貸マンションに暮らしています。

わたしはカウンセリングを受けるにあたり、心に問いかけました。

「ねぇ、わたし。わたしは何を思ってる?何がつらい?どうして苦しいの?どうして悲しんでるの?何故叫ぶの?何を泣いているの?ねえ、教えて?」

しかし、心は頑なに教えてくれません。わたしの心、わたし自身の心なのに、わたしに教えてくれないのです。

まるで、わたしの声がきこえないかのように、口を閉ざし、虚ろな目で、ぼろぼろの身体で立ち尽くしています。身体は傷だらけで、その目からは涙が止めどなく溢れて頬を伝い、それでも口をへの字に曲げまいと震わせながら固く固く結んでいます。喉が鳴って嗚咽が漏れそうなのに、それさえ全身の力を込めて堪えています。表情さえ歪むのを許そうとせず、拳を握り、歯を力一杯食いしばり、足は棒のように、開いたまま、倒れないように力を込めて立っています。

その姿はまるで、心を閉ざしたあの日の4歳のわたしの姿でした。

何をきいても、何を問いかけても、答えてくれません。どうしようもありません。

わたしはわたしの心を抱きしめたい。撫でてあげたい。思いっきり大声をあげて泣かせてあげたい。それなのに、それが出来ないのです。こんなにも愛おしくいじらしい、わたしの心に、触れることさえ許されないのです。

ねえ、答えて!とわたしは叫ぼうとしてやめました。心が、その目が恨み、怒り、悲しみ、苦しみに満ちていて、それらすべてが小さな心が抱えきれないほど、零れ落ちて散らばってしまいそうなほど沢山で、それでもなおひとつも零すまいと震えながら抱えていたからです。

そんな心を見て、わたしは叫ぶことなんでどうして出来ましょう。

こんなに小さな頃から、当時細くて小柄な身体では抱えきれないほどの心の深い傷、悲しみ、恨み、苦しみ、怒りを抱え、生きてきて、生きれば生きるほどそれらを押し込みながら積み重ね、今は辛うじてそこに蓋がぽんっとしてある状態なのだとやっと理解しました。

その蓋が外れてしまったら、わたしはどうなるのでしょう。予測もつきません。わからないのです。あけたことすらないというよりも、心があけることを頑なに拒んでいたからです。

勿論、今もあけることは出来ません。

はやく、一刻もはやくこの心が抱えているもの、蓄積されたものを解放してやらねば、わたしはいつか大爆発を起こし、それこそ全てを失ってしまう、そんな気さえします。

それだけは、わたしは避けたい。

どうか、心よ、わたしに教えてください。何をそんなに恨み、悲しみ、苦しみ、怒り、何故それを我慢しているのか。わたしに教えてください。わたしはあなたを理解したいのです。だって、わたしの心ですから。だから、どうしても、どうしても、理解したいのです。

わたしは、あなたと共に生きていきたい。
その為にあなたを理解したいのです。

心がわたしのこの訴えを受け入れ、静かに歩み寄り、わたしと一体化して熱い涙や激しい慟哭と共にその抱えていたものを吐き出せれば…。

本望です。