読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ももたんの発達障害ライフ

発達障害当事者であるももたんの声をお届けします

解離を起こして、冷静になって考えて

一昨日(正確には昨日の深夜)解離症状(現在は解離性同一性障害の疑い)を起こし、人格が変わり、twitterのふぉろわさんを困惑させてしまい、まずはここにお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。

 

結局人格は23歳の男性人格(名前はまだ無い)で、出るのは記憶にあるだけで3回目。けど、この人格の存在は、わたしが幼い頃から存在していたような気もします。わたしの中に男の子がいる?と幼い頃から思っていたからです。今回彼の出現により、元からあった解離症状が、解離性同一性障害ではないかという疑いが強まりました。これは新しい病院で診断してもらいます。

 

彼とは朝方わたし自身と話し合い、自分の心としている4歳の頃の自分の人格に「こころ」と名付けました。わたしの「心」と掛けている名前にしました。彼には「おれは名無しでいい」と言われたので、名無しの男の子としました。

 

わたしは人格がおよそ10人以上いると思われています。今まで出てきたのがそのくらいいるからそうなのかなと思っています。とりあえず人や自分に害を与える人格は「こころ」だけなのですが、名無しの彼と話し合い、こころが出てこないように、人格みんなで押さえつけておいてとお願いし、彼も承諾しました。わたしがごめんと言うと、彼は

 

「こころが仮にお前に害を与えたり犯罪を起こしたら、こころの性格上まず自殺するだろう。そしたらおれ達はお前を守れないし、こころが自殺すること曰くお前も死ぬということ、そしておれ達も同時に存在を消されることになる。だから、お前を守る為にこころを全力で止める」

 

と言ってくれました。イケメン!と人格ですが思わず思いました。

 

それから朝8時頃まで話し、寝ましたが、起きたら夜の8時近い時間になっていて、わたしは何があったんだ?人格が、まさかこころが出たのかと思い、薬をチェックしたら、なんの変わりもなく、いつも通りに薬を飲んで12時間近くノンストップで眠っていたようです。

 

しかし、わたしの行動ところどころに、こころは現れ始めているようで、痒みで掻きむしったことによりできたカサブタを剥がす行為が昨日今日と続いています。こころは4歳とはいえ女の子。人格として本体が汚いのは嫌なようで、カサブタを見つけるととにかく剥がす。わたしもそれに危機感を感じています。血が出ても痛みを感じないんですよね。まるで自傷行為です。本当にどうなってるんだ、わたしって感じです。こころがやらせているのでしょうか…。

 

こころは虐待、いじめを受けて現れた人格です。4歳のわたしであり、わたしの心の中でもあります。こころは汚い物が嫌いで、わたしの汚くなった身体も嫌なようです。そして、人間に強い憎しみと殺意を持ち、更に希死念慮も持っています。こころが何故カサブタを剥がし始めたのか、考え、わたしなりにこころにきいてみました。

 

こころはわたし本人と同じように両親を恨んでいます。わたしは両親の2人の血が自分の身体を流れてるのがとても汚らわしく思ってますし、両親の遺伝子が汚いとしか思えず、その遺伝子がわたしの身体を蝕み、わたしの肌まで汚くさせたと思っています。そもそもこの痒みはストレス性のもので、就職に焦り、場面緘黙を発症した挙句出てきた痒みですが、その焦りの大元は、母親が7月でわたしの援助を切ると宣言したことから始まりました。

そしてわたしは生活保護を受けることを決意し、手続きから何から全て終えて、実家から借りてた最後の書類を返しに実家に行った時、母親はわたしの母子手帳、生まれた時親子共に付けられてた札、わたしの足に付けられていたラベル全てを顔も見ずに投げるように机に一式置き、

 

「これもういらないから持ってって」

 

と言ってきました。わたしは瞬間、「ああ、これでわたしは母親に捨てられたんだな」と確信し、それをそそくさとバッグに入れ、帰るねと言って帰りました。その帰り道は人気のない道を選び、嗚咽は堪えつつ、涙をボロボロと流しながらふらふらな状態で家に帰り、帰るなりバッグごと布団に倒れ込み、気を失うこと2時間。相当なショックでした。そこでわたしは吹っ切れたものもあります。母親には今後一切関わらないということです。介護は勿論しません。死んでも葬式など参列しませんし、納骨も立ち会いません。母親とは本当にもう一切の関わりを絶とうと思っています。関わっていたら、やがてこころが現れ、母親を殺しかねないと思います。こころが母親を殺す=わたしが母親を殺すことですから、関わりをもっていたらわたしが刑務所にぶち込まれます。本当に勘弁です。

 

わたしのきょうだいは何を思っているのでしょうか。時々、いや、よく考えます。わたしのきょうだいの末っ子の上に、水子になった命があります。その子のことが、わたしは気になっていました。その子には戸籍も無いし、名前も無いですし、男の子か女の子かもわかりません。そんなその子の居場所も、母親は知らないと言いますし、名前さえ付けません。わたしはそんなその子に「ゆうき(勇気/優希)」と名付けました。男女どちらでも通る名前ですし、母親の身体からたった30gで形もなく掻き出されるまでい続けた勇気と、その子が出てこなければ優しい末っ子は存在しなかった、末っ子の生きる希望となったことを意味してゆうき(勇気/優希)と名づけました。来年、ゆうきは20歳を迎えます。名付けられてからも19年経ちます。この長い間、一度もゆうきの元を訪れなかった家族の代表として、今年中に産まれた病院を訪れ、手掛かりを探します。執刀医がいれば、お礼と挨拶が出来ればと思いますし、もし末っ子が希望すれば、ゆうきの元へ一緒に連れて行き、ゆうきの20歳のお祝いをしたいと思っています。末っ子は5歳頃、ゆうきの存在に気付いたようで、相当悩んでいたようです。わたしが名付けたことも知らないので、その話をして何故付けたか意味を教えたいと思います。

 

さて、この投稿をかいている間も、こころはとても嫌がり、カサブタを探しては剥がしていました。この投稿は、こころと一緒に書いたようなものです。こころも疲れたと思います。もうひとつ、投稿したら、こころと一緒に寝ます。

 

なんだか訳のわからない投稿になり、すみません。わたしは、生きてます。