ももたんの発達と解離ライフ

発達障害・解離性障害当事者であるももたんの声をお届けします

わたしの解離性障害④〜色々な顔を持つ〜

わたし自身が抱えている解離性障害について、4回目の投稿

 

今回は、様々な場面でどのような自分がいるのか?を書いていこうと思う

 

実は今、入院中であるが、ふと看護師のSさんの歩き方を見て、ハッとした

年齢こそ恐らく彼女のほうが上なのだが、まず歩き方、仕事に対する意識の向け方、表情、言葉遣いなんかが、自分が某就労継続支援B型作業所で利用者でありながら主任をつとめていた時とリンクしたのだ

 

Sさんはとても真面目でクールな女性。何かあっても動じる素ぶりは当然ながら無いし、相談すれば正論を躊躇する事なくズバッと言う。そして決め台詞は「決めるのはあなただよ」と言う

 

自分はどうだったかというと、作業所でトラブルがあっても関係がない場合はスルー、相談事、悩み事にはズバッとどがつく正論を躊躇なく言うが、アフターフォローはしっかりする。ちなみに決め台詞は「〇〇さんのことだからね、最終的には〇〇さんが決めるんだよ」

 

思わず笑ってしまうほど、あまりにもリンクし過ぎである

 

ただし、これは当時の「仕事をしている主任としての立場をわきまえた自分」の態度である

 

これが今患者である自分はどうなっているか…。

甘え口調で、幼い子どもの様な話し口、常に緊張していてちょっとシャイな感じ、というとわかるだろうか、まるで小中学生のような感じである

 

カウンセリングを受ける時の心理士さんの前では、突っかかるような、マシンガントークを繰り広げ、心理士さんにストップかけられて、一度深呼吸する

 

役所などの電話応対だとどうなるか。まずは

「お忙しいところ失礼致します、いつもお世話になっております〇〇と申します」

で始まり

「〇〇さんは今いらっしゃいますでしょうか?」

となって、いなかった場合

「そうでしたか、失礼致しました。折り返しご連絡いただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

「そうでしたか、また後ほど掛け直したいのですが、何時頃お戻りになられますか?」

などとなり、最後は

「承知致しました。お忙しいところありがとうございました。失礼致します」

と言ってこちらから電話をかけたので、相手が電話を切ってからこちらも電話を切るようにする

 

まあ、電話応対では有りがちな至って普通のやり取りを当たり前のようにするのだが、このどが付くほどの丁寧なやり取りに、役所の生活援護課ではわたしは良い意味で丁寧な人だとちょっとした評判になっているそうだ(生活援護課のPSW談)

何故ここまで丁寧なやり取りが出来る人が、上手く働くことが出来ないのか?という話も出ているようだ。またケースワーカーからの信関係もしっかり築けているので、トラブルにならない

 

ここまで読んでいてお気付きだろうか、あまりにも差のあるわたしのコミュニケーション方法が

 

これは実は自分の中では解離の一種だと思っている

また、これに関して言うと、普通の人でも起こりうる「健常な解離」に非常に近い

 

しかし、問題はこのように気を張っていたり、リラックスしたりが忙しいと、疲れてぐったりしてしまうのだ。そして日常生活に困難が生じ、支援が必要になる

最近メディアで取り上げられているピアニスト、野田あすかさんが、まさにこのパターンである。彼女はテレビなどで見ていると、少なくとも3つ4つは人格というか、顔を持っているとわたしは素人ながら判断している

「ピアニストとしての野田あすかさん」

「親御さんの前で娘として過ごす野田あすかさん」

「生徒である子どもたちの前で、ピアノ教室の先生である、野田あすか先生」

「近所を歩く時に1人楽しそうにはしゃぐ幼い子どものような野田あすかさん」

テレビで確認しただけで4パターンもある

 

(解説すると、野田あすかさんの障害は発達障害解離性障害だが、野田あすかさんの場合、解離性障害発達障害特有の特性によって周囲とのコミュニケーションが取れずいじめに遭い、それによって発症した「後天性の二次障害」であり、彼女の幼い子どものようなコミュニケーションの取り方は、所謂発達障害というよりも、二次障害である解離性障害による幼児退行と思われる。通常発達障害のみ罹患している患者は、野田あすかさんのようなコミュニケーションの取り方にはならず、ほぼ健常の大人と何ら変わらない喋り口調である

メディアやマスコミが発達障害をメインに取り上げており、二次障害に着目出来てない現状の為、発達障害者もあのような喋り口調や幼さであると一般の方々には誤解されるが、現実は全く異なる。しかし、その誤解の為、発達障害者であることを告げると子ども扱いされて、悲しい思いをしている発達障害者は非常に多い)

 

そして、1番解離性障害らしい?と言うと語弊もあるだろうが、解離性障害特有の症状が「ピアノ教師の野田あすか先生」から「家で娘として過ごす野田あすかさん」に戻った時の疲弊のしかたである

 

通常、解離性障害の人たちは、離人や解離、人格分離を起こした後はぐったりとするほど心身ともに疲弊する。何故かというと、他人格が自分の心身を酷使して過ごしたり、しっかりした人間の顔を持とうと気を張り続けていたりと、「自分の心身を、健常な人の何倍ものエネルギーを使って、全身全霊かけてコントロールしているから」である。解離している時間が長ければ長いほど、この疲弊は大きくなると言っても過言ではない

 

わたし自身、幾つの「顔」を持っているかと問われると、答えるのに時間を要するというか、一概に幾つ!としたはっきりした数字が出せないのが現状だ。寧ろ解離性同一性障害までいくと、患者本人が自覚無かったり、把握していない人格もいたりする。そうなると何人人格いるの?とか幾つ顔を持ってるの?ときかれても、はっきりした答えは答えかねるところがあるのだ

そもそも健常な人間にもある解離の部分まで含めたら、何人とか言っていられないくらいだろう

 

わたしは今週日曜にデザインフェスタというイベントに出るが、そこでも普段とは全く違う顔を見せるのは、ここまで来るともうわかりきったことであり、自分にとっては気力を保つ為の術と言っても過言ではないほどである

 

解離性障害と上手く付き合って生きていくのには、このように顔を幾つも持ちつつ、適切な場面で適切な顔を見せ、コントロールしていく必要があるのだと、最近日々強く感じている今日この頃である