ももたんの発達と解離ライフ

発達障害・解離性障害当事者であるももたんの声をお届けします

わたしがされてきた多剤処方〜13歳のわたしは1日50錠処方〜

ここの所、精神科、心療内科にて起こる多剤処方について、考える時間があった

 

わたしは13歳の時、初めて心療内科にかかった

学校で自傷行為を始めて、相談室のスクールカウンセラーが病院を親に紹介したのである

わたしが訪れたのは、都内の小さなクリニックだった

中学1年生の冬、精神科デビューである

 

わたしの話を1時間半、母親は2時間ほど、別々に当時の主治医M先生と話した

そして、早速心理検査を受けることと、投薬治療の開始を告げられた

 

当時どんな薬を出され、心理検査を受けたのかは明確には覚えていない

ただ1日20錠以上は出されていた

心理検査はwiscとバウムテストを受けたのだけは覚えている。後に当時のIQを知ることになるが、M先生は結果を見て直ぐに入院が必要だとわたしたち親子に告げた

中学2年生の5月、わたしは当時都内では有名だった小児精神科の思春期の女の子が入院する病棟に入院した

 

入院時、まずついた病名は「神経衰弱(現在でいうところの抑鬱状態)」である

そして間も無く多剤処方は始まった

朝昼夕寝る前と、それぞれ10錠ほどを1日4回薬が処方された。更に、調子の悪い時の頓服薬も含めると、1日50錠近くの量だった。当時患者の子ども達の間では、薬は多いほど凄いんだ!という訳の分からない思い込みがあり、わたしよりも多い子なんかは寝る前に16錠も飲んでいた(なお、この中には副作用止め、下剤、胃薬、アレルギーの薬などを飲む子もいた為、精神薬以外の薬も全て引括めた実際の量である)

 

4ヶ月後退院したが、多剤処方は終わりではなかった

わたしは学校の登下校中や部活中のことはあまり覚えていない。薬でぼーっとしていた為、記憶が無いのだ。中学2年、3年の文化祭で、吹奏楽部の一員としてステージに出たことも、合唱コンクールでどのパートを歌ったかも、ほぼ覚えていない。薬の副作用で眠りこけているわたしに、教師は容赦なく起きろと言う。しかし、その声さえもほぼわからない。結局気付いたら保健室で横になっていた

 

体重も増えた

 

中学1年の最初の頃までは至って標準より少し軽い、顔もほっそりとした足の長い、所謂健康的なモデル体型ともいえる体型だったが、中学を卒業する頃には平均を10キロ以上も上回る体重になってしまった。恐らく薬の副作用とストレスで過食になっていたのは、もう間違い無い。中3の1学期に測った体重は53キロ、卒業時は57キロだった

 

高校も受験したが、何をしたのか、何を面接で言ったのか、さっぱり覚えていない。薬で意識が無くなり、気が付いたら家で寝かされていた。当然、受けた2校の高校は落ちた

当時飲み始めたのは、ベゲタミンB、PZC、ピレチア、ヒルナミンリボトリールなどである

他にもアーテンアナフラニールトリプタノールコントミンロヒプノールラボナなど、様々な種類の薬が次々と処方された

(注意: ベゲタミンは2016年12月より一般の精神科外来では処方されておらず、市場には出回っておりません。大変強い薬でオーバードーズによる死者、重度の後遺症を抱える者も出ている為、かねてから危険性を示唆されていました)

 

ここからは、残っているお薬手帳の写真と共に、どのような薬をどのくらい処方されていたか、診断名も含めて振り返ってみる

まずはこちら

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2008年11月25日に処方された薬である。当時22歳。就労継続支援B型事業所からグループホームに入った頃だ。計算すると1日23錠飲んでいる。これより少し前の18歳の時、自分は統合失調症と随分前から既に診断されていることを知った。見ての通り、ベゲタミンAも処方されている

 

次は翌年の2009年のデータである

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2月24日、11月10日、共にまだベゲタミンAが処方されているが、2月のほうではエビリファイ(アリピプラゾール)、11月のほうではエビリファイは無く、リスパダールが半減、ここまで飲んでるのに不眠時の頓服、ラボナが出ている。

 

そして翌年を見てみよう

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ここでちょっとした変化が起きている

5月11日にあるベゲタミンAが、11月16日に、実に数年ぶりにベゲタミンBに変わったのである

しかし、やはり強い薬を出されていることに変わりはない。ロヒプノールレンドルミンが出ていると同時に、副作用止めのアキネトンが1日4錠から5錠に増えたのは、セロクエル(クエチアピン)、エビリファイリーマス(炭酸リチウム)、リスパダールなどの副作用で「アカシジア」という症状や「手の震え」が出ていることによる他は無い

 

ちょっと飛んで2012年5月8日

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ここで遂にベゲタミンBも無くなり、代わりにコントミンが処方されるようになった

そして不眠時の薬としてマイスリーが処方されている

 

さらに飛んで2014年

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ここで実は主治医と病院が変わっている

大きな小児精神科からクリニックに転院した。そして、薬が激減した

また、抗うつ薬として、パキシルが処方されるようになった

 

更に大きな出来事がこの年起きていた

 

広汎性発達障害であることがわかったのだ

当時クリニックの主治医がグループホームの顧問医だったのだが、わたしの様子を見てお薬手帳を見せろと言った。わたしがお薬手帳を見せたところ、顧問医のK先生は驚いた表情を見せた

「君、これは統合失調症の患者に出す薬ではないよ。君は発達障害ではないのか?」

「今日病院なら、主治医にきいてみなさい。間違いなく君は発達障害だと思う」

それまでずっと統合失調症だと思い込み、施設の職員も親もわたし自身もそうきかされてたので、驚いたが、確かに今言われてみれば、自閉スペクトラム症者の易刺激性に対する薬としても使われるエビリファイ、衝動を鎮静させる為のリスパダールは、現在小児の発達障害患者にも処方することで有名である

 

早速通院したわたしは、当時の主治医、T先生にきいた

 

「先生、K先生がね、あなたは発達障害だって言うんだよ。確かに統合失調症の他の人と症状違うし、違和感はずっとあったんだけど、わたしは発達障害なの?」

 

T先生はひと呼吸置いて、こう言った

 

「そうだよ、君は間違いなく発達障害だ」

 

わたし「どうして発達障害なのに統合失調症って言われてたの?」

T先生「それは昔M先生が入院の為に検査をしたろう?そしてお薬を出す時に、この病名なら出せる薬もあったんだ。それで書いたときいている」

わたし「先生はずっとわたしが発達障害って知ってたの?」

T先生「うん。18歳の君が入院して誰が担当するか決める時、カルテ見てすぐわかったよ。だからぼくが申し出たんだ、この子はぼくが引き受けますってね」

 

T先生は知っていたのだ。全て。

M先生は当時中学生のわたしに「高機能自閉症の疑い」という言葉を発していたことが判明した

当時の全IQ112だが凸凹の激しいwiscの結果、生育歴による幼い頃からの拘りから、そう判断したという。M先生は、実は1970年代後半から80年代、90年代にかけて、小児自閉症の症状の改善について研究されていた、自閉症に関してはスペシャリスト、第一人者とも言える人だったと最近調べて知った。そして、もう既に亡くなられていることも…。

 

その後、わたしはK先生のクリニックに転院した

 

次の3枚は、そのクリニックで2016年にストラテラを処方された時のお薬手帳である

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多動多弁、思考の回転で苦しんだわたしに、発達障害の薬として、ストラテラが25mgから処方された。同時にストラテラと相性の悪いパキシルが断薬、当時新薬として注目されてたイフェクサーを飲み始めた。これが賦活症候群を引き起こし、わたしは荒れに荒れた

 

遂にカウンセリングを必要と判断し、わたしは2016年5月26日を最後にK先生のクリニックを自ら去った

 

転院先の主治医、N先生はキーキーと荒れるわたしを診て

「この子は今後どうなってしまうのだろう、改善出来るのだろうか」

と心底心配した、と後に話した

「あなたはまるで、野生の自由な世界から、突然動物園に連れてこられて檻に閉じ込められたお猿さんのようだった」

という

ある時今までのお薬手帳を見せたところ、N先生は

「なんてこと!こんなに出されてたの!?そりゃあ賦活症候群になってもおかしくないわ。何故こんなに?先生はなんと仰って出したの!」

と声を少し荒げるように言ったので、わたしは

「何も説明は無いです。先生につらい、苦しい、助けてって言ったら、これ飲んでね、と言われて出されたので飲みました。治ると思ったからずっと飲み続けました」

と言うと、N先生は頭を抱えるようにしてため息をついた

そしてこう言った

 

精神科医に限らずだけどね、医師って説明してわかる人にはきちんと説明する義務があるの。あなたは説明すればちゃんと理解できる人間なのに、当時の医師が説明義務を怠ったのは、同業者として、とても恥ずかしいわ…」

「あなたは今まで物凄い多剤処方をされてきた。簡単に抜けられないけれど、少しずつ減らして行きましょう。あなたに不要な薬は全て断ち切ります。あなたはいずれ、1日エビリファイ1mgでやっていける人間になれる…いや、する。わたしがそうするわ」

 

そして、2016年秋、様々な心理検査の結果、わたしの診断されていた統合失調症は「誤診と見ても致し方ない」とされ、正式な診断名は

「広汎性発達障害」「解離転換性障害(解離性障害の一種で、わたしの場合解離障壁がほぼ存在しない為、解離性同一性障害(多重人格)ではない)」

となった。なお、広汎性発達障害に関して言えば「ASD(自閉スペクトラム症)は黒寄りのグレーで積極奇異型、ADHDは薄いグレー」となった

 

現在の処方は、体調不良により若干増えたが、以下のお薬手帳の通りである

(6月15日の処方だが、現在も引き続きこの処方である)

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この記事では多剤処方に至った経緯とその後を綴った

 

ひとつだけ、読者のかたに誤解して欲しくないことがある

 

薬は決して、毒ではない。正しい処方と正しい量を服用すれば、改善するものは改善する

子どもだから、薬飲ませるなんて!薬なんて毒だ!という親御さんの声をちらほらきくが、勝手に辞めない、減らさない、ちょっとおかしいと思ったら医師、薬剤師に躊躇うことなく相談すること

勝手に減らせば、患者は離脱症状に苦しむ。そして再開する時も副作用が強く出る場合もあるので、勝手に弄らないことは守ってほしい

 

医師もピンキリである。それぞれに専門分野もある

おかしい、なんか違うと思ったら、セカンドオピニオン、サードオピニオンも利用していいと思う

 

知識があるだけでなく、理解があってきちんと向き合ってくださる医師に出会えたからこそ、わたしは今のところここまで来れている

 

離脱症状など、薬で苦しんだ経緯に関しては、今後またここに書いていこうと思う