ももたんの発達と解離ライフ

発達障害・解離性障害当事者であるももたんの声をお届けします

孤独を受け入れて生きる

以前、カウンセリングで、こんなことを言われた

 

「人は、皆、孤独を抱えて生きているんだよ」

 

人間は産まれる時から死ぬ時まで、自分1人の力で心臓を動かし、呼吸をしようとする

 

出来ないこと、1人では難しいことは、手伝ってもらいながら、それでも最終的には1人で全てやる事になる

 

カウンセリングも、実はそうなのだと、臨床心理士のK先生は言う

 

こんな言葉をいただいたことがある

 

「わたしたち臨床心理士も、主治医の先生、ワーカーも皆、あなたたち患者、クライエントに代わってあげたくても代われない。何かしてあげることも、答えを教えることも出来ない。ただ、出来ることは、一緒に考えること、答えを導き出すお手伝いをすること、提案すること。それでも最終的に決めるのは、あなたたちなのよ」

 

カウンセリングとは、答えを教えて貰うことではない

様々な話を繰り広げる中で、自分なりの答えを自力で導き出すこと

 

ある臨床心理士のかたの言葉に、こんな言葉もある

 

臨床心理士がカウンセリングを行ったクライエントが、先生のおかげで自分は立ち直れました、ありがとうございます、と言った時点で、実はカウンセリングは失敗と言ってもいい。カウンセリングの成功とは、クライエント自らの力で立ち直れた、その瞬間である」

 

凄く印象的だった

 

この臨床心理士のかたの言葉が、物凄く腑に落ちた

 

臨床心理士が答えを教えてくれたら、簡単に物事が済む、と思っているのは大きな間違いであって、仮に臨床心理士が答えを教えたら、その時点でそれは臨床心理士の個人的意見の押し付けになる、ということだし、そもそもそれはクライエント本人の答えではない、とのこと

 

確かに担当しているとはいえ、自分以外の第三者でもある臨床心理士が、簡単に「こうすればいいよ、これが答えだよ」と言ってきたら、わたしは凄く嫌だと思う。何故ならそれは、わたしが自ら出したものではないし、そうなったとすれば、わたしの気持ちや考えを無視した形になるからだ

 

カウンセリングは孤独な闘いだとわたしは思う

わたしたちカウンセリングを受ける側も、カウンセリングを行う臨床心理士も、それぞれが闘っているのだと、K先生も言う

 

よく、人は1人では生きていけない、と言う言葉があるが、その1人の人間に寄り添うのもまた1人の人間であり、自身が決めて側に寄り添うと考えると、人は孤独なのだという言葉の意味がわかるだろうか

 

例えば2人の人間が寄り添い合うということは、寄り添いたいと思う2人の個体の思いが一致した時で、それぞれがこの人に寄り添うと、個々で決めることである

つまり、孤独な人間2人の方向性が同じだったというだけ、と言うと残酷にもきこえるが、そういうことなのだと思う

 

主治医の先生がこんなことも言っていた

 

「人はね、みーんな孤独よ。1人で自力で生きているの。そして何も無くて暇なのよ。だから暇つぶしをする。例えば、ホビー(趣味、道楽)、カルチャー(文化、教養)、といった英語の言葉があるわね。その語源は「暇つぶし」から来ているの」

 

ということで、まずカルチャーの語源を調べてみた

「cultureは「耕す」を意味するラテン語「colere」に由来し、始めは土地を耕す意味で用いられていたが、英語に入り「心を耕すこと」の意味で用いられるようになった。そこから「教養」「文化」も意味するようになった(引用: 語源由来辞典)」

だそうである

心を耕す、なるほど、物凄く興味深いと思った

勝手なイメージだが、何も無いさら地の心を耕すことで、教養を身に付け、文化を生み出す、ということに繋がるのではと思った

 

次にホビーの語源を調べようとしたが、これは難しかった

ひとつ妥当だと思われるサイトがあったので、そこから引用する

「hobbyの語源を調べてみると、おもちゃの「棒馬」を表す hobby horse を省略したもので、このおもちゃのように楽しいものとして、hobbyが生まれたようです。hobbyという言葉は13世紀末「小さな馬」の愛称として使われた Robin に遡るようで、これが「モリス・ダンス(Morrs dance)で使われる馬」となり、さらに16世紀半ばに「子供が乗る小さな馬」そして「棒馬」へと変化したと言われています。(引用: eigo 21)」

ふむ、確かに乗馬は1人で乗るものであり、1人で楽しむもの、つまり暇つぶしでもある。主治医の言ったことの意味が理解できる

 

ちなみにもう少し調べると、recreation の意味は「気晴らし」だが、同義語としてhobby の単語も記されていた。原義は「病気から回復する」だそうで、このサイトには説明として

「どんなに真面目な人でもたまには息抜きが必要です。例えば活発なサラリーマンは、休日に気晴らしでスポーツを楽しみ(to play sports for recreation)、インドアな人は息抜きにゲームをします(to play video games for recreation)。また福利厚生の豊かな企業は社員の為に保養所(recreation facilities)を設立したり、慰安旅行(recreation trip)を企画したりします」

とあった。ますます暇つぶしから来ている単語だと納得せざるを得ない

 

人は皆孤独を抱えて生きる生き物、とは、どういう意味合いなのか、何となくだがわかってきた

 

孤独だから仲間を作ろうとしたり、遊んだり、仕事したりと、前述したような「暇つぶし」が必要になる、そうやって元々本来孤独なのを、誤魔化してというと語弊があるかもだが、紛らわして生きている、ということなのだ

 

英語はわたしは本当に苦手で、昨年の高卒認定試験(高等学校卒業程度認定試験=昔でいう大検)も合格したものの自己採点で55点だったが、このように紐付けすることで、面白い発見もあるのだと思ったと同時に、これも教養(culture)を身に付けるのだと今書きながら思った

 

人は、孤独な生き物である

故に、個々で息抜き、気晴らし(recreation)をして、知りたいなら教養(culture)を身につけ、教養を身につけたら趣味(hobby)も楽しみながら、自身の孤独な時間を暇つぶし(killing time)でやり過ごして生きていくのだ

 

最後に主治医の好きな言葉を、主治医のインタビュー記事から拾ってきたので、それを綴って今回はここまでにしよう

 

「人はね、裸で産まれて、裸で死んでいくのよ」

 

最後までお読みいただきありがとうございます

また次の更新をお楽しみに。。