今回は題材通り、カサンドラの母と未診断ではあるが恐らく重度の発達障害の父の話を少ししようと思う
その前に、ひとつだけ留意点をあげると、わたしはカサンドラのかたを否定することはまず無く、また発達障害の人にもカサンドラの人にも人権があり、双方に擁護されるべき点があるということ。またそれ無くしてどちらの支援も発生しないということをお伝えし、そこに重きを置いて話せるよう、つとめていきたいと思う所存である
まずはわたしが子どもの頃…
母がパニックによる過呼吸と不整脈を起こして初めて夜中に運ばれたのは、わたしが小学5年生の時だった
夜中に起こされて母がひゅうひゅうと苦しそうに呼吸をし、わたしに助けを求めた。仕方なく救急車はわたしが呼んだ
小さな弟妹の面倒は祖母が飛んでくるまでわたしが全て見た
その日はなんとか座流星群の日だと思い出したわたしは、星座の名前を確認し、起きてしまった弟妹をベランダ側に連れて空を眺めさせた。ベランダから空を眺める弟が流れ星!とはしゃぐのを横目に母を待つ
母は程なくして異常無しと言われ、わりとすぐ帰ってきた
母はその後も度々過呼吸と不整脈を訴えて運ばれた。決まってそれは夜中で、わたしは毎回救急車を呼んだ
サイレンを鳴らして来るのを嫌がる母からの要望を、電話で隊員の方に伝えたこともあった
その時風邪をひいた妹が母の留守番中布団の上に吐いた嘔吐物も、小学6年生になったわたしは処分したり、お腹を空かせたと泣く当時赤ん坊だった末っ子にミルクを作って飲ませたり…。
なんでこうなるんだろ?と思ってた
わたしが大人になってネット社会に入りこんで知った、カサンドラ症候群。きいたことも見たこともない、病名なの?疾患名?なんだこれ?と思って調べると、母の症状と見事に合致
カサンドラ症候群は発達障害などを抱えるパートナーとのコミュニケーションや意思疎通を図ることの困難から生じるストレスで、自身がパニック症状による過呼吸や不整脈、そしてうつなどの精神的から肉体的まで様々な影響を及ぼす症状を総称したもので、疾患名としては確立されてはいないとされている
長年母を苦しめてたのは父の行動を理解出来ない気持ちからきたものだとやっと知った
そしてわたしは父の発達障害を疑ったのだ
最近になってだが、父に
「自分に発達障害の自覚はあるのか?」
ときいたところ、驚きを隠せない事実が発覚した
父は10年以上前に周囲から
「お前アスペルガーぽいよな〜」
「ADHDもあるんじゃない?」
と冗談半分で言われたことをきっかけに、当時ネットで検索したところ、自分の状況と合致した為、ADHDの何らかのネット診断でも無いかと探して、これなら割と良いサイトだろうと専門機関のことも載っているサイトを探し出し、ネット診断をしたところ(どのサイトかはわたしは存じない為紹介は出来ない。また正確な診断は医療機関などにおいてするものである)、ADHDの当事者ですらなかなか出すことは無いという「満点」を出してしまったという
父はそこで
「ああ自分はもしかしたらADHDなのかもな」
と自覚していたのだと
その年数や10年以上前
なんとわたしが発達障害と医師に告げられる5年以上前である
また、現在治療や正確な診断を受けるつもりは、父は無いという。その背景には年齢もあるし、また父が「仕事の成功者」であるというものがある。その為今更診断受けても…と父は口を濁したのである
父は子煩悩で明るく、勉強の得手不得手にムラはあったものの、大学から大学院を卒業し、某業界に属しその業界では現在では最早かなり有名な人物である
メディアに紹介されたことも多々あり、テレビ出演なども果たしている
しかしメディアに適切で正確に技術を伝える一方、家庭では自由奔放な発言をし、外に散歩に出てふくよかな女性を見ると「うわっ」と指を指して言ってしまう
わたしは小学生の頃からそんな父を「やめてよ恥ずかしい!」と注意していた
散らかしっぱなしで物をよく無くし、無い無い!とパニックや癇癪(かんしゃく)を起こしてひっくり返して探すことなんて日常茶飯事
自分の仕事に熱中し過ぎて他の家族が昼食をとっても気付かず、午後3時半に「ご飯まだ?」と言ってきたこともあった(恐らく過集中によるもの)
わたしが8歳くらいの時に家庭内別居のような状況になった。正確には家が狭くなったので、アパートをもうひと部屋借りたらそうなって、母もせいせいした表情をしていたものだが…
最近はわたしがネットの世界に入り浸り、カサンドラという言葉をきかない、見ない日は無い
その方々の投稿を見ることも多々あるが、実に苦労されているのだ
夫として、父親としてなってない、人としても最悪だ!と嘆く女性たちは、彼らを「アスペ夫」「もう1人の大きな子ども」などと呼ぶ
その気持ちも投稿を見ればわからなくも無い。それはそれは酷いと思われても仕方ない行動を彼らはしている。これを日常的にされたらわたしだってストレスで、冗談抜きで速攻で別れるだろう
ところが発達障害の人は「カサンドラは敵だ!」と言う人まで出ている。彼らからしたらそりゃそうだろう。自らは何も悪いことをしているつもりは全く無い。自分の考え通りに動いたらそう称され、アスペアスペと呼ばれてネットに叩かれる
「発達障害者の人権は?」と言う人も中にはいる
だが思う
最初に述べたように、発達障害のかたにもカサンドラのかたにも人権はあり、擁護されるべき点が必ず存在しているのだ
そして繰り返しになるが、その双方の人権無くして双方の支援も発生しない
発達障害者がカサンドラを生んでしまう、というと語弊があるだろうが、そういった形になってしまうのは、発達障害者が適切な支援、もしくは診断・治療を受けていない可能性が高いこと。そして、発達障害、特に自閉スペクトラム症に多い「相手やその場の状況を把握することが困難」という特性も原因のひとつと思われる
発達障害者は治療を受けてもなお、特性を隠したり治せるわけではない。そもそも発達障害者が社会で適応するには、凸凹を別の何かで補うこと、自らをそうさせる方法を自らあみ出し提案出来るようにならなければ、難しいと言っても過言ではない
その為適切な治療を受けても、適応出来るか否かは7、8割がた発達障害者本人の「工夫」にもかかってくるとわたしは思う
またカサンドラの方々が大変苦労されている点はもうひとつあり、それは「診断されても本人に自覚が無い」もしくは「本人が自覚しようとしない」点である
「俺は普通だよ」「こんなの誰でも同じだ」
そのような言葉を放つ人もいるという
この発言こそ発達障害(特に自閉スペクトラム症に多い)特有とも言われる「思考の視野の狭さ」によるものでもある
あなたは普通ではないのだと言っても今までの人生で培ってきたもの、プライドなどもあり、また思考に柔軟性が乏しい為、わたし自身ですらそうなりがちである
長くなったが、我が家は母が父を擁護せず、母は父のことを子どもに悪く言うことで子どもに擁護されようとした
当然子どもはそれを信用し父を擁護しなくなり、敵視したりし始める
父が「恥ずかしい存在」という認知の歪みを母に植えつけられてしまうのだ
父は擁護されるどころか無邪気な子どものようにそれを知らないまま今もいる、齢66…。
発達障害者と健常者と呼ばれる類の人間のパートナー問題。これは発達障害が存在しなければ存在しない問題なのか?とよくわたしは自問自答しているが、答えなどない、そこは人間の姿をしたひとつの生命体同士の問題であり、それが今や社会的なものとなってしまった、昔々のそのまた昔から実は存在していた、そういうものであろう
それを解決出来るかは本人たち次第ではあるが、もし自らの手では追えない場合には、本当に早期から専門機関への相談をお勧めする
場合によっては、法的手段をとることも、望むのであれば必要になってくる
膨大な苦労の日常から、両者が少しでも良い支援を受け、良い方向に向かうことを願うばかりである