ももたんの発達と解離ライフ

発達障害・解離性障害当事者であるももたんの声をお届けします

わたしの気持ちの整理の仕方

人は自分を責めてしまいがちである

 

何故、あんなことを言ったのだろう

何故、ああいう行動に出てしまったのだろう

あの時こうしていればよかった…etc

 

自分が嫉妬心を抱くことを恥じ、恨みを持つ自分を恨み、罪悪感を抱えることに怯え…

 

しかし、これらの感情は、人間という生き物に生まれた以上、抱えることを避けては通れないのである

 

 

これらの気持ちを抱えてしまったら……?

どうしよう……?

 

と思う人は少なくないだろう

 

 

だが、人として、これらの気持ちを抱えることを避けては通れないということ=それはおかしくもなんとも無い、当然のことでもある、とわたしは思う

 

 

イライラして人に当たってしまった時、その瞬間はせいせいするが、その後酷い罪悪感に苛まれる人は少なくない

そんな時、わたしは「自分は今イライラしていたのだ。だから仕方なかったのだ」とまずは自分を肯定する

そして、その後「でも後悔しちゃうよね?それなら、イライラした時に自分がまず今イライラしていることを、自覚出来るといいね」と思うようにして、それから、イライラした時、何が自分にとって1番心地よいか?を考え、次にイライラが起こった時にそれを実行する

 

これは本当に難しい。わたしもここまで辿り着くのに、何年かかったかわからない

 

臨床心理士の先生に、カウンセリングを3年前から受け続けているが、本当に失敗の繰り返しだった

 

失敗すると、ああ、また失敗しちゃった!と嘆く

しかし、人間は失敗しなければ学べないこと、気付けないことが大多数である

すると、何度か失敗をしているうちに、失敗は怖いけど、そこから学べることもあるじゃん!と気付けるし、同じ失敗はなるべく繰り返さないように努力する力も身に付く

 

常に完璧でありたい!とわたしは常日頃から思ってきたし、今もその意志はなかなか解れてはくれない

完璧な人間などいない!とわかっていても、「自分の中の理想像」から少しでもはみ出て崩れてしまうと、もう大パニックを起こしてしまう

そんな時は外からは冷静に見えてても、頭の中はぐちゃぐちゃで、次第に冷や汗は出るわ涙は出るわで、表面上でもわかってしまうくらいに混乱してしまう

 

今まで否定されてきた分、自分の中で「こうあるべき」「こうあらねばならない」といった思考に翻弄され、次第に頭や心の中をガチガチに固めてしまうのだ

 

そして、やがて自分自身をコントロール出来ることが難しくなり、ロボットのように決まったルーチンで動くようになってしまう

 

心の中でしっかり絡まった糸は、なかなか解けてはくれない

しかもカピカピになった洗剤がこびり付いたように、硬く固まってしまっている

 

カピカピになった洗剤をお湯で溶かし、ゆっくり時間をかけてほぐして柔らかくしないと、糸は解けてくれない

絡まり方が複雑であればあるほど、解くのに時間がかかるように、そんな認知の歪みをもつ人の心は、時間をかけなければなかなかなおらない

 

どうしても人は、完璧主義であればあるほど「ねばならない思考」にガチガチに固められてしまう。そんな人に限って、失敗すること、負の感情を感じること、人によっては自分が泣くことすら許せないこともある

 

自分の弱さを認めてあげられないのだろう

 

わたしもかつてはそうだった

自分が泣いたり弱さを見せるなんてとんでもない!という偏った思考を持っていた

 

しかし、悲しかったり悔しければ嫌でも涙は出てくるし、そんな弱さも嫌という程感じる

そんなある日、わたしは気付いた

 

弱くてもいいじゃない、人なんだし、涙が出るのは人であるからだし!

 

そんな発見をしてから、泣くことも恥なくなり、カウンセリングに行けばボロボロに泣き、もう嫌だ、つらい、を連発している日々である

 

そして、最近少し進歩したな、と自分で思うことがある

 

例えば孤独を感じた時、ああ、今自分は寂しいんだ、と自分の気持ちに気付けるようになったのだ

更に、心の中で、寂しいんだね、よしよし、と自分を慰めることが出来るようになってきた

 

そう、大切なのは、自分の気持ちに気付けること、そして、認めてあげることなのだとわたしは思う

 

自分の気持ちに気付き、自分に共感してあげること。これは時間の無駄ではなく、寧ろ大切なことなのだと、日々実感している

 

今も自分を責めることもあるし、自分を虐めてるのかというほど、自分に厳しい時もある

 

そんな時、自分の心の中で、自分は本当はどうしたいのか?どうして欲しいのか?という気持ちに耳を傾け、どうするのが自分に最善なのだろうと考えること

自分だけで無理な時は、自分が信頼を寄せる人に助けを求めること

これは決して恥ずべき行為ではなく、寧ろ自分が最善を行くために必要なことであり、大切な自分への気付きに繋がるのではと思う

 

わたしは自称「正論ブチかまし怖がらせ女」である

どんな時も人に正論をぶつけては、怖がられたり去られたりしてきた

 

しかし、それが単なる自分の押し付けの時もあれば、自分が出来る精一杯の事だった時もある

 

前者の場合は、押し付けは確かによろしくないので、相手を思いやった行動言動になっていたか、反省が必要な時もあるけれど、後者の場合は、結果的に悪かったかもしれない、それでも自分は精一杯やったのだ、それでいてこの結果だったのだと割り切ること

 

これも大切なことなのではと思う

 

そうした上で、自分はどうしたいのか?を知ること

これが見えてくると、きっと、もう少し自分の気持ちを上手く整理出来るのかもしれない